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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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職務質問。
別に、こちらの仕事について根掘り葉掘り聞かれるわけでは無い。
まあ、それすら聞かれることはあるが・・・。

警察が、嫌いである。
理由はごく単純だ。
幾度か、職務質問を掛けられたことがあるからだ。
そんなに怪しく見えるのだろうか?

中でも一番ひどかったものは。
夜十時ごろであろうか、とある小路を歩いていた時。
背後より、白いワゴンが、自分の歩く速度よりやや速いくらいの速度で追いかけてきた。
はっと気づいて立ち止まり、じっとそちらを注視していると、ワゴンが止まり、中から六、七人の制服警官が現われた。
「何してんの?」
聞かれる。ハア?なにいってんの、こいつ。ただあるいてんじゃん。
「いや、見ての通り、歩いています」
「仕事?」
どうでもいいが、口の利き方がなってない。警官までゆとりか?
「ええ、いま帰りです。」
いらっとしながらも応えると、こんなことを言い出す。
「さっきの交差点でさあ、あんたこっち見て逃げたよね」
「????」
交差点?・・・・・・ああ。さっきの”車もこないし赤でも渡っちゃえ”で、渡った交差点。
いたっけ?こんな車。
「あんたさあ、こっち見て急いで逃げたでしょ。信号赤なのに」
「ちょっと待って。車いなかったから急いで渡っただけですよ」
「本当?・・・まあいいや。とりあえずかばんの中、見せてよ」
「ハア?何で?」
こちらが制止する暇もなく、手からバックを引っ手繰ると、おもむろに開けて手を突っ込む。
思わずブチ切れそうになって手を伸ばそうとすると既に四人の制服に囲まれていた。

まあ、見られたからといって何か困るものが入っているわけではない。
中には仕事関係の資料数葉とちょっとしたおめかし用具と筆記用具くらいしか入っていない。
しかし、この制服警官の威圧感はどうにかならんものか。
それと態度。目つきの悪さ、あと言葉づかい。
つまりは他人を相手するときの態度全般、いや、人として。
どう見ても年下の警官に
「あんた、何の仕事してるの?」
「名前は?あと住所と生年月日、電話番号」
なんで貴様ごとき小僧にそんなこと教えにゃならんのだ。
その旨、極々オブラートに包んで伝えると
「ああ?」
とかぬかす。まるでヤクザ。
いいかげんこちらの険悪な空気が伝わったのか。
年嵩の制服が
「いや、これも決まりですから。こういうことがあると皆に聞いてるんですよ」
すかさずフォローが入る。
これがかの有名な”いい警官と悪い警官”というやつか。
そうこうしている間にも、自分のバックはすごい勢いで引っ掻き回されている。

結局、何も出てこなかったのか。
口も閉じずにバックを返される。
あさっていた二人が少しはなれてなにやらぼそぼそ話している。
「なんか出てきましたか?」
精一杯皮肉を利かせて問うと
「いや・・・特には・・・」
とかいっている。
さあ、普通ならここで
「いや、すいませんでした。こちらの勘違いで」
とか謝るところだろう間違いなく。
が、それをしないのが国家権力クオリティー。
「何かあったらお宅に連絡するから」
・・・・・・??? 
負け惜しみ?その前にひとこということがあるだろうがよ。
潮が引くように囲んでいた警官がワゴンに乗り込んでいく。
取り残される男がひとり。
そして、最後のひとことがまた奮っている。

「交通法規は守るように。赤信号は止まんなきゃ」

これで、当方の警官嫌いの理由がわかっていただけたかと思う。
モニターに向かっていたら、当時の怒りがまたぶり返してきた。
近頃の警察の無能と傲慢には目にあまるものがある。
裏金ばっかり必死こいて作っていないでもう少し、他人と折衝する時の態度や言葉づかいというものを勉強して欲しい。
敬語の一つもまともに使えるようになってからえらそうにして欲しいものである。

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匣、といえば思い出すのは。
京極夏彦の”魍魎の匣”や、太宰治の”パンドラの匣”等であろうか?
前者はかなりマニアックなように思うが、後者などは読みやすく、なかなかに面白いものである。
機会があればぜひ一読願いたいものだ。
さて、これより話すのはそのようなブンガクとはかけ離れた事柄である。

月末、一本の某エロゲーを購入した。
25、26日と何かと多忙が続き、さてインストールしようと思い立ったのは27日も午後に入ってからである。
で、いざビニールを破いて箱を開けようとしたのだが。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
どうにも開かない。
押せども引けども、指突っ込もうとも開かない。
「・・・・・・・・っ!・・・・・・・・っ!」
「ビリッ!」
「えっ?」
箱の上部、羽になっているところが無残にもびりっと逝ってしまったのである。

以前よりずーッと思っていたのであるが、どうもあのパッケージは不親切だ。
いつもいつも、ひやひやしながら開けている。
それにしても、今回のように破いてしまったのは初めての体験である。
ひょっとして中古屋への転売防止のため?
それはいささか考えすぎであろうか。
破いてしまうと、売れてもさすがに値段は下がるんだろうなあ。
とか思っていささかへこんでしまった自分である。

自分の知る限り、現状の主流はあのタイプの箱である。
当方不勉強ゆえ、正式な名前なぞ知る由も無いが。
それでも最近は、パカッと押し上げるタイプの箱が多少混ざってきているようにも思う。
ただ、感覚的にはあの箱は多少、コストも高そうである。
やはりそのあたりがネックか。
同じ値段なら、あちらの方が断然良いと思うのは決して自分ばかりではないだろう。
是非、メーカーさんには頑張って欲しいものである。

ちなみに、中身の方は現在プレー中である。
まだまだ半分ほどであるが、そこそこ面白いように感じる。
タイトルを知りたい方は、過去の四月期購入予定を読んでいただきたい。
四月末購入予定は確か一本だけである。

高裁判決が出た。
判決は”死刑”。
件の光市母子殺害事件である。

地裁、高裁と一貫して量刑の中心であったのは被告男性の年令について、である。
犯行の残忍さ、2人を殺しているという事実からいって、もし、成年であったならば文句なしに死刑が確定するところであろう。
だが、判決はいずれも”無期懲役”であった。
十八歳と一ヶ月。
被告の年令である。
最高裁より差し戻し命令が出た瞬間、最高刑の適用は規定路線であったように思う。

事件発生当初より、この話題は折に触れメディアを賑わわせてきた。
ニュース、ワイドショー、新聞報道、果ては半バラエティー番組に至るまで。
ドラマのように仕立て上げられ、電波に乗って繰り返し垂れ流される。
煽り煽られ醜態をさらした阿呆な弁護士数名。
そして更に大量の考えることを放擲し、情動の赴くまま躍らされるテレビの前の子羊たち。
これらも事件の特殊性と重大性に支えられた所産であるか。
世間の耳目にさらされ続けたこの事件にも、一応の決着がついたように思う。
即日上告がなされたようであるが、恐らくは棄却されるであろう。
さて、ここで当方が考えるのは、
”事件の重大性と特殊性、それにより喚起される世論と量刑の関係”
というものである。

果たして、量刑が世論というものに引っ張られる、ということがあるのであろうか?
あるとすればそれは妥当であるのかどうか?ということだ。
幾人かの専門家の意見を読んだが、このような事件の量刑は先ず”無期”がおおむね相当であるという。
前述したとおり一審で無期、二審もそれを支持している。
が、最高裁は高裁へ差し戻す。
抜粋すると
「特に酌量すべき事情が無い限り、死刑を選択するほか無い」
というものであった。
はっきりと「死刑を選択するほか無い」と言い切っている。

「被害者感情を重視した判決」
確かにそうだ。
被害者の父であり夫である某氏は一貫して死刑を求め続けてきた。
氏は、地獄を見たことだろう。
自分の大切な人が2人、無残に殺される。
たとえ未熟な若者の犯罪であったとはいえ、許し難い気持ちになるであろう。
自分には”よくわかる”などという言葉はとても使えぬが、己が身に置き換え考えることならば、出来る。
斯く云う自分も「死刑か、ざまあ見さらせ」という気持ちもある。
が、果たして
”被害者遺族の望む量刑を科す”
ことが法の番人たる裁判官、ひいては最高裁の仕事なのであろうか?
そこに、世論への迎合は無いのであろうか?
死刑とは、読んで字の如く人を殺す刑である。
裁くものが、裁かれるものを殺すか殺さぬかを決定する。
故に、十分に議論を尽くし、己の判断と良識にしたがって量刑をしてもらいたい。
衆愚に踊らされることなく、確固とした信念に従って欲しいものである。

とはいえ、来年より始まる裁判員制度により、その衆愚が裁く側に立つことになる。
今回のような重大事件においての裁判もままあることだろう。
この騒動をみて、どうにも不安に思うのは私だけではないはずだ。
ぜひとも理性的な裁判を、お願いしたいものである。

さて、春である。
ここ札幌では例年より二週間ほど早い桜の開花宣言が出された。
花も咲けば、人も浮かれ騒ぐ時期。
引きこもりが基本スペックの自分は自宅にてエロゲー三昧である。
淋しくなんかありません。
では、いってみましょう。

①20080425
11eyes─罪と罰と贖いの少女─
正直、前作 FESTA では、期待に反してごっつい裏切られたわけであるが、今作に関しては、つらつら眺める限りなかなかに登場人物には魅力がありそうである。一作目から買い続けて、こことももう長い付き合いだ。それなりには期待しているので頑張って欲しいところである。

②20080523
ウィザーズクライマー
ここも前作 王賊 は正直イマイチの出来であった。ただ、ゲームとして、SLGとしてイマイチである、ということがここの出す作品の魅力を損ねることでは無いというのが自分の考えである。それでは何を持って魅力というのか?それはキャラクター間のgdgdな掛け合いである。ここにこそこのメーカーの真価があると考える、そんな風に、グリンスヴァ-ル学園を経営しながら思った。今作も買いである。

③20080523
Sugar+Spice! Party☆Party
・・・悩むところ。非攻略キャラとしての”ほんみりん”に非常に魅力を感じていただけに、どうにも特攻してしまいそうである。問題はバグとミニゲーム。バグは出るとでかいだろうし、ミニゲームはべらぼうにつまらなそうである。難しい。ひょっとしたらやめるかも。

④20080523
BIFRONTE~公界島奇譚~
これは微妙。設定、背景などはとても面白そうに感じるのだがいかんせんメーカーとライターの実績に?期待していると大変な肩透かしを食らいそうな地雷臭も漂っている。ここは評価待ちが妥当かとも思うがどうであろう。お財布に余裕があれば。

ということで今月は4本。
実質2~4本といったところである。
前2本はガチ、後の2本は状況と評価次第。
今月はエロゲー崩しに時間が取れると良いなあ。

今年の初めのこと。
某ブロック紙において
”島津の若殿、里帰り”
なる見出しが躍っていた。
九州は鹿児島県、薩摩島津の直系の子息が小樽商科大学の院にて学んでいたらしい。
島津といえば思い出すのが、池宮彰一郎氏の「島津奔る」である。

自分はこれを読んで、一発で島津氏のファンになってしまった。
血腥さまで伝わってきそうな戦場の描写。
濃密な人物の描写。
時の権力者たちに対し、智嚢を振り絞り命を削って薩摩一国を保とうと悪戦苦闘する義弘。
兄義久との確執などなど。
実に読み応えのある内容となっている。

その一篇に、ひとつ、文禄、慶長の役に関する面白い見方がある。
太閤、豊臣秀吉が明、朝鮮に対して起こした戦争(文禄の役)は経済的な政策の一環であるというものだ。
流通を含む経済活動という概念は、江戸も末期になって初めて日本に現われたものだというのが通説である。
故に、経済政策、等という考えはこの時代にはありえないという向きもあろう。
が、かつて秀吉が仕えた織田信長の例も存在する。

越前の対浅倉戦は、精強を誇る上杉氏や武田氏を刺激するリスクを犯しても尚遂げねばならない巨大経済圏の確立のための戦争であったとの見方である。
京を中心として山城含む京畿、本願寺の大阪、同盟国浅井の近江、本国である尾張、美濃、同盟国である松平の三河、遠江。
そして今は無き巨椋池と琵琶湖の水運、太平洋側は屈指の商業港である堺をほぼ手中に収め、後は日本海側の越前浅倉の若狭湾を手に入れれば、おそらくどの戦国大名も経済力と輸送力において織田家を出し抜くことは難しくなるであろうと信長が企図したとの考えである。
さて、実際はそこまでの考えがあったのかどうか、であるが。
随分と早い段階から堺や琵琶湖に目をつけていた信長のこと、或いはという気がしないでもない。
そしてその下で彼のやり方を学んできた秀吉である。
少なくとも過去の主との約束のためとか、そういった感傷的な理由よりもよほど真実味のあるような気がする。

具体的にはこういうことである。
信長の事業を実質引き継いだ秀吉の働きにより、少なくとも国内の戦乱は沈静した。
しかし、百年とも、百五十年とも言われる戦国時代の間、国家の経済というものは完全に戦時経済に置き換わってしまっている。
鉄砲や武器、兵器類はどんなに作っても売れなくなり、基幹産業である農業でも、米を作っても戦争が無いのだから当然消費量は大幅に減少する。
その先にあるのは急激なスタグフレーション。
戦争ではない経済的な地獄が現出することになる。
先ずはこの、戦時によって騰がりに騰がった経済を、ハードランディングさせずに沈静させねばならない。
いくら富裕であったとはいえ豊臣一家での経済力では日本全てをカバーすることなど出来はしない。
とはいえ、国内の各大名は戦争それ自体に飽いている。
再び国内で戦争を引き起こせば豊臣家の足元まで危うくなる。
故に、外に目をむけさせる必要があった。
朝鮮、或いは明国と戦争を起こし、戦闘要員を国外に大量に出す。
それによって各大名家の力をそぎ、且つ軍需を一定に保ちつつ。
朝鮮の資力をある程度収奪し国内経済を潤わせ、且つ朝鮮半島を国外市場とすることにより、国内の経済構造を緩やかに平時経済に置き換えようというのが文禄の役における狙いであったというわけである。
なかなか、面白い考えではなかろうか?

実際、徳川家が江戸幕府を開いた時も、各大名家の取り潰しと同時に道路の整備、宿駅の整備、治水などの水害対策など、公共事業とも取れる巨大工事を、各大名家の持ち出しで行わせている。
参勤交代にしてもそう。
政権確定後、国内を隈なく覆った戦時経済の影に対して、八百諸侯の財布を開かせることにより、効率的に各地域を潤わすことの出来る施策であったといえる。
結局、それらの政策は、大名家の力を削ぐ、という方面にしか光は当てられなかったが。
老中、若年寄など、江戸幕府における政治を切り回す立場のものは、結局内向きの視点しかもてないように出来ていたのである。
理由は、必要が無かったから。
彼らは江戸幕府、ひいては自分を含めた徳川家の安泰だけを考えればよい立場である。
言い換えれば彼らは、そこに暮らす人間の生活など、考えなくても良い立場であった。
ひたすらに慣習を守っていれば、かってに徳川以外の諸大名が弱ってゆく。
実に優秀な制度であったといえよう。

斯様に江戸幕府を例に引いたのも、「島津奔る」において、江戸幕府の創始者である徳川家康もまた、秀吉の狙いに気づいていた一人として描かれているからである。
幕府の礎を築いた家康只一人がその制度の真の意味を理解していたということである。
そのほかには物語の主人公である島津義弘や当代随一の利け者、石田三成なども秀吉の狙いに気がついていた人間として描かれている。
なかなかに興味深い。

氏の遺した物語の中では「島津奔る」が一番好きなものである。
池宮彰一郎という人は、作家としてのデビューは随分と遅かった人である。
六十の坂を越えてから書き出し、「四十七人の刺客」で新田次郎文学賞、「島津奔る」で柴田錬三郎賞と、七十前後で文壇における重要な賞を幾つか受賞している。
不幸にして盗作疑惑などが持ち上がり、その後、執筆のペースは上がることが無かったものの、どれをとっても読み応えがあり、寡作のまま亡くなられてしまったことが実に残念な限りである。

盗作、と言えば嫌悪感を抱く人も多いであろう。
しかし、その線引きは実に難しい。
作家、画家、作曲家など、クリエイティブな仕事をする人間というのは、多くの知識を溜め込まねばならない。
それらの知識を自分の中の抽斗にいったん収め、その上で必要に応じて引き出していく必要がある。
氏の場合、自身もおっしゃるとおり、司馬遼太郎氏に多大な影響を受けた作家である。
文中、幾つかの表現が司馬氏の既出の表現とかぶってしまったのは、抽斗より引き出す際の不幸な事故であったという気がしてならない。
あくまで話の本筋は、氏特有の、オリジナリティーある解釈に仕上がっている。
それだけに、彼の騒動に関しては、一ファンとしてとても悲しく思う。
何か読むものを探している方は、ぜひ読んで欲しい作品である。



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