2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ここのところ更新が滞り気味である。 実は結構な風邪っぴきなのである。 その昔、自分が中学生だった頃、肺炎を併発して入院したことがある。 さすがに事ここにいたっては黙っているわけには行かない。 この入院に関してはいくつか面白エピソードもあるが、いささか具合も悪いので機会があったらということにしようと思う。 PR 私こと、ontaiは、自他共に認めるエロゲーマーである。 ここまで、エロゲに関して書いてこなかったのは、ここでは書く必要を感じなかったからである。 ここで、幾つかルールを自分内で設定しておこうと思う。 では、始めましょう。 20080229 20080307 20080314 20080321 といったところ。 高校のときの国語科の教科書であったろうか。 何年か前の夏のこと。 病院の帰り道、大通り五丁目のベンチに座ってボーっと文庫を読んでいた。 不思議と、このように声を掛けられることが多い。 ちなみに自分は、デジカメ、などという便利グッズは持ち合わせたことが無い。 私は、へどもどした。 まさに、このような表現がぴったりくる状況である。 しかし、むげに断ることもできず、結局は応じてしまう自分がいる。 自分が太宰になれないところは、結局ちゃんと写してしまったところ。 あちらは女転がしのプレイボーイ。 池波正太郎氏の剣客商売の中で小兵衛が 雪祭りが終わったあと、ここ札幌では淡々と雪が降り続いている。 田舎よりここ、札幌に出てきて先ず思ったのは、道を譲る人がいない、ということである。 で、こちらに出てきた当時は、必死になって道を譲っていたものだ。 先ず、基本、道は譲らない。 ただし、これだけではこちらが只の無法者である。 ただ、最近、ちょっと考えることがある。 時代小説や歴史小説が好きである。 宮城谷昌光氏の「孟嘗君」を読んでいて思ったことがある。 おそらく、中国の歴史上初であろう統一事業を完成したのは秦王政(贏政、始皇帝)である。 ただ、戦略的な見地としては。 それまでの中華における戦争とは 前代の宰相であった魏ゼン(なぜか漢字が出ない)は占領政策もこなしたが基本、国家としての方針は遠攻近攻であった。 そして、范雎よりさかのぼること百年弱、秦による中華統一を決定付けた宰相がいる。 重農主義は、わかるような気がする。 商鞅が孝公と会談した際、商鞅は始め、帝道について説いた。 この覇道の法は、とにかく中央集権を加速させ、国力、軍事力を高めるための法である。 結局、商鞅の法により中華初の統一王朝となりえた秦も、たった一人の巨悪のためにわずか15年で覆轍することとなる。 商鞅は覇道の法を作った。
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