自分は、田中ロミオ氏の書くシナリオが好きである。
が、信者ではないと思っている。
信者では断じてありたくないと思っている。
殊更そうは思わないが、あるゲームを評価する場合、やはりシナリオ重視というスタンスになるのだろう。
萌えを判らぬ人間だからこそという気もしないでもない。
絵は多少駄目っぽくても、お話として面白ければそれで良し。
音声が無くても、お話として面白ければそれで良し。
BGMがショボくても、お話が面白ければそれで良し。
システムが多少悪かろうと、お話が面白ければそれで良し。
誤字脱字があっても、お話が面白ければ全然問題なしである。
あえて例外を挙げるなら、バグがらみであろうか?
まともに動かないとか、インストールできないとか。
これは評価云々以前の問題である。
こんな事を言うと作り手の人は不快に思うかもしれないが、何かモノを作る企業、或いは人としてのモラルの欠如とさえ言い切ってしまってもよいと思っている。
一度インストールしてプレイすればわかるじゃねえかよ、と。
巷にあふれ返るバグとはえてして皆そのようなものばかりである。
が、メーカーはメーカーでもーう”赤信号 みんなで渡れば 怖くない”状態だ。
「バグが出ましたがそれが何か?」
完全にユーザー舐めきってるとしか思えない。
味噌汁で顔洗って出直して来い。
多少、話がそれた。
ロミオ氏のシナリオについて、である。
最も最近プレイした氏のシナリオのゲームは
”最果てのイマ”
なるモノであったか?
批評に関しては正直、酷評といっても良い評価である。
が、実は当方、それでも結構満足であった。
氏独特の文章の空気、とでも言おうか。
ああ、これはロミオ以外の何者でもない、と。
そんなロミオ分の補給行為で満足してしまうのである。
ごく個人的な感想としては、よくあそこまで練ったものだ、と。
だから余計にラストの尻切れトンボな感じが惜しいと感じたものである。
で、だ。
「・・・最近ロミオの新作でねえな」
シナリオライターに飽き足らず、小説にまで手を出していると聞く。
きっと忙しいのだろう、仕事のあるのは結構な事だ、等と思いつつ、某情報誌の氏のコラム(小噺?)などを読みニヤニヤする日々を送っていたのだが。
待望のロミオ氏の新作発表である。
「って、いや、keyかよ!」
恥ずかしい話、自分はこの歳になっていまだにある拘りを捨てきれずにいる。
その拘りとは
”keyとTYPEMOONだけには手を出したくない”
という愚にもつかないものである。
いや、正確にはかつて一度だけ手を出した事がある。
かの”AIR”がそうだ。
中古屋で安かった(2Kくらい)ので勢いで購入したシロモノである。
故に、彼のメーカーの直接の客ではない、というのが免罪符であるわけだ。
当のゲームは、どうにもクドクドしく、寒々しく長々しいお話だったと記憶している。
当然、それほど評価してはいないのだが。
そのころからであろうか?
”信者”なるものが世に現れ目につくようになってきたのは。
別段、好きなのは大変結構な事だと思う。
何かに夢中になれるのはよいことだ。
彼のかま●つひろしもゴロワーズでそんな風に歌っていた。
が、さすがにブンガクだ、ジンセイだ、言われるとねえ。
何を比較対象としてブンガク、ジンセイという言葉を使っているのか。
否定的な人間には矢鱈と噛み付き、他人にまで勧めて仲間作りに励む。
それ自体、メーカーやその所産であるところのゲームの罪では断じて無い、が、生理的に受け付けないというものも世の中には多々、あるものなのである。
無論、もとより信者の涌き易い氏のゲームやっておいて何をいまさらではあるのだが。
何故だか、この二つのメーカーの出すゲームは
”やったら負け”
なのである。何かに。自分的に。
こういった根拠の無い思い込みほどタチの悪いものは無い。
そんな事は重々承知ではあるのだが・・・。
まあ、幸いにもまだまだ時間はある。
買うべきか買わざるべきか。
しばらくは葛藤し、懊悩してみようと思う。
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