忍者ブログ
2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
[134] [135] [136] [137] [138] [139] [140] [141] [142] [143] [144]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

さて、ネタが無い。
何を書こうか。
数ヶ月間、週2~3回のペースで書いて来たが、ネタだしもなかなか大変である。
なにか簡単に、確実に安定供給できるネタは無いものか?
そんな風に考えながら朝刊を読んでいたところ。
スポーツ欄に”競馬”の二文字が。
これだ────!!
最近は競馬より離れて久しいが、昔とった杵柄だ。
何より確実に供給できて潰しも利きそうである。
というわけで。
素人予想はじめます。

とはいえ、あんまり余裕も無いので、予想は毎週一レースとする。
その週の一番大きなレースを当方の独断と偏見と横暴により決定、予想を行う。
まあ、当たればめっけモンである。
使える金額は一日千円。
各買い目にそれを振り分け、収支なんかも出してみたいなあ。
夢は広がる一方だ。
では、いきましょうか。

今回予想を行うのは”第3回 ヴィクトリアマイル G1”。
東京芝マイルの女の戦いである。
特に行く馬もなし、ペースは普通~やや遅いといったところか?
馬場に関しては良馬場で行えそうである。
基本情報はこんなところ。
では、ざっと流して不要な馬を消去していこう。

 ①テンイムホウ 特に見るところなし。
 ③ローブデコルテ 能力はそれなりにありそうだが四戦目で上がり目?
 ⑤ピンクカメオ 近走悪すぎ、一発は怖いが。
 ⑦タニノハイクレア ここでは荷が重い。
 ⑩アルコセニョーラ 相手が悪い。
 ⑭タイキマドレーヌ ここのところ思わしくない。面白いとは思うが。
 ⑮ベルモントプロテア 一段落ちる。ここでは厳しい。
 ⑰ベッラレイア 能力は認めるも休養開けは?以前ほどのキレも見受けられない。

これで8頭消えた。
さて、残りは・・・。

 ②ブルーメンブラット 前走休み明けで好走。大幅な上積み見込める。
 ④ジョリーダンス 同上も、年齢的に上積みは?だが切れない。ヒモ。
 ⑥エイジアンウインズ ここを見越してか、いささかローテがキツい。ヒモで。
 ⑧パーフェクトジョイ 使いつづけもローテ守って安定。前走好走も好評価。
 ⑨ウォッカ 言わずと知れたダービー馬。が、洋行帰りにはチトきついか。ヒモで。
 ⑪トウカイオスカー 上積み見込めるもいかにも格下。安定感皆無で能力?×。
 ⑫ヤマニンメルベイユ 馬体充実、前でしぶとい。ペースが落ち着けば。
 ⑬ニシノマナムスメ マイルも連体率10割。上積みも見込める。
 ⑯マイネカンナ 近走高いレベルで安定も上積み薄い。そろそろコケそう。×。
 ⑱レインダンス マイネカンナと逆パターンでそろそろ一発出そう。馬体増加が怖い。ヒモ。

で、今回の本命は。
 
 ⑫ヤマニンメルベイユ

いや、馬体を見ると充実度が違う。
今回一番よく見えた馬。
あまり人気も無いし、ペースも落ち着きそうでちょっと面白いかも知れない。
で、最終的には。

 ◎ ⑫ヤマニンメルベイユ
 ○ ⑬ニシノマナムスメ
 ▲ ②ブルーメンブラット
 △ ④ジョリーダンス
 △ ⑥エイジアンウインズ
 △ ⑧パーフェクトジョイ
 △ ⑨ウオッカ
 △ ⑱レインダンス

という事に相成った。
ちょっと印多すぎかな?
まあ、良い。
どの道⑫絡みだと、どこ来てもえらい事になるし。
多いくらいがちょうど良いか。
で、買い目は以下の通り。

 ウマレン
  ⑫─⑬  117.0 200円
  ⑫─②  174.6 100円
  ⑫─④  235.0 100円
  ⑫─⑥  177.6 100円
  ⑫─⑧  573.2 100円
  ⑫─⑨  80.5     300円 
  ⑫─⑱ 675.9  100円
  
  ※JRA発表の前売りオッズです。

さて、オッズを見て少しわくわくしてきた。
久々にウインズでも覗いて見ようかな♪
では、良い日曜日を。 

PR

ここ札幌では、肌寒い日が続いている。
いや、むしろ寒い。
最低気温はここ数日四捨五入して零度である。
おかげで当方の花粉症も一段落と言ったところなのだが。
今も、窓の外では冷たい雨がそぼ降っている。

雨が好きだ。
外出時などは面倒に感じる雨も、自宅にいるときには格別である。
眠気を誘う雨音も、湿った空気とアスファルトの臭いも。
コーヒーでも淹れて、ゆっくりと本を読むには最高のひと時。
雨の日のぼんやりと弛緩した雰囲気が大好きである。
しかも春の雨。
弛緩しすぎて寝坊してしまいそうである。

”はるのあめ” ”はるさめ”
言わずと知れた春の季語である。
蕪村の春を詠った句の中では、梅、鶯、桜など、春の代表選手に引けを取らぬほど多くの句が残されている。
語呂が良い、というのももちろんあるだろう。
”春雨や” ”春の雨” いずれも五文字で初句と結句にしっくり来る。
が、寂寥の感すら漂うその空気が、人間の持つセンチメンタリズム、或いは詩心というものを刺激するのかもしれない。
単純に、人間の行動、というものが気象条件に大きく左右された江戸期に於いて、雨の降る日は家で俳句を作るぐらいしか出来ることが無かったのかもしれない。

”春雨や 鬼貫が文字のにじり書” 

等という句もある。 
春雨に降り込められ、為す事無く鬼貫の句をのたのた書き綴り、退屈を紛らわす様が目に浮かぶようである。
また 

”春雨や もの書かぬ身のあはれなる”

春雨を、筆も持たずにボーっと眺める身の何と素晴らしい事か、位の意味合いであろうが、ここでも雨に降り込められている模様が言外によく描写されている。
恐らくは、いずれの論にもいくばくかの真実が含まれているのであろう。

蕪村の句をつらつら眺めていると、春雨に係っていくつか”綱”という名詞が現われる。
羅城門の鬼を退治した渡辺綱のことである。
と思いきや、どうやら渡辺綱に由来した妓女の名前であるらしい。

”つなたちて綱がうはさや 春の雨”
”はるさめや 綱が袂に小でうちん”

一条戻橋の柳風呂の妓女とある。
当時の名物女みたいなものなのかもしれない。
が、蕪村の春雨の句の中で、当方が一番好きなのが

”狸にも綱にも逢はず 春の雨”

こちらは本物(?)の渡辺綱である。
人を化かす狸にも、また渡辺綱の鬼退治のような大事にもぶつかるわけでもなく、ただ、静かに、春の雨は降り続いてゆく。
世はおしなべて事も無し。
近頃、何かと世間は騒がしいが。
平和が一番、である。

自分は、田中ロミオ氏の書くシナリオが好きである。
が、信者ではないと思っている。
信者では断じてありたくないと思っている。
殊更そうは思わないが、あるゲームを評価する場合、やはりシナリオ重視というスタンスになるのだろう。
萌えを判らぬ人間だからこそという気もしないでもない。

絵は多少駄目っぽくても、お話として面白ければそれで良し。
音声が無くても、お話として面白ければそれで良し。
BGMがショボくても、お話が面白ければそれで良し。
システムが多少悪かろうと、お話が面白ければそれで良し。
誤字脱字があっても、お話が面白ければ全然問題なしである。
あえて例外を挙げるなら、バグがらみであろうか?
まともに動かないとか、インストールできないとか。
これは評価云々以前の問題である。
こんな事を言うと作り手の人は不快に思うかもしれないが、何かモノを作る企業、或いは人としてのモラルの欠如とさえ言い切ってしまってもよいと思っている。
一度インストールしてプレイすればわかるじゃねえかよ、と。
巷にあふれ返るバグとはえてして皆そのようなものばかりである。
が、メーカーはメーカーでもーう”赤信号 みんなで渡れば 怖くない”状態だ。
「バグが出ましたがそれが何か?」
完全にユーザー舐めきってるとしか思えない。
味噌汁で顔洗って出直して来い。

多少、話がそれた。
ロミオ氏のシナリオについて、である。
最も最近プレイした氏のシナリオのゲームは
”最果てのイマ”
なるモノであったか?
批評に関しては正直、酷評といっても良い評価である。
が、実は当方、それでも結構満足であった。
氏独特の文章の空気、とでも言おうか。
ああ、これはロミオ以外の何者でもない、と。
そんなロミオ分の補給行為で満足してしまうのである。
ごく個人的な感想としては、よくあそこまで練ったものだ、と。
だから余計にラストの尻切れトンボな感じが惜しいと感じたものである。

で、だ。
「・・・最近ロミオの新作でねえな」
シナリオライターに飽き足らず、小説にまで手を出していると聞く。
きっと忙しいのだろう、仕事のあるのは結構な事だ、等と思いつつ、某情報誌の氏のコラム(小噺?)などを読みニヤニヤする日々を送っていたのだが。
待望のロミオ氏の新作発表である。

「って、いや、keyかよ!」

恥ずかしい話、自分はこの歳になっていまだにある拘りを捨てきれずにいる。
その拘りとは
”keyとTYPEMOONだけには手を出したくない”
という愚にもつかないものである。

いや、正確にはかつて一度だけ手を出した事がある。
かの”AIR”がそうだ。
中古屋で安かった(2Kくらい)ので勢いで購入したシロモノである。
故に、彼のメーカーの直接の客ではない、というのが免罪符であるわけだ。
当のゲームは、どうにもクドクドしく、寒々しく長々しいお話だったと記憶している。
当然、それほど評価してはいないのだが。
そのころからであろうか?
”信者”なるものが世に現れ目につくようになってきたのは。

別段、好きなのは大変結構な事だと思う。
何かに夢中になれるのはよいことだ。
彼のかま●つひろしもゴロワーズでそんな風に歌っていた。
が、さすがにブンガクだ、ジンセイだ、言われるとねえ。
何を比較対象としてブンガク、ジンセイという言葉を使っているのか。
否定的な人間には矢鱈と噛み付き、他人にまで勧めて仲間作りに励む。
それ自体、メーカーやその所産であるところのゲームの罪では断じて無い、が、生理的に受け付けないというものも世の中には多々、あるものなのである。

無論、もとより信者の涌き易い氏のゲームやっておいて何をいまさらではあるのだが。
何故だか、この二つのメーカーの出すゲームは
”やったら負け”
なのである。何かに。自分的に。
こういった根拠の無い思い込みほどタチの悪いものは無い。
そんな事は重々承知ではあるのだが・・・。
まあ、幸いにもまだまだ時間はある。
買うべきか買わざるべきか。
しばらくは葛藤し、懊悩してみようと思う。

自分の記憶の中では。
壱万円札の中の人は2人。
言わずと知れた諭吉先生。
もう一人は聖徳太子である。

さてさて。
諭吉先生は二回連続中の人である。
今現在、もっとも有名なえらい人であろう。
老若男女、ありとあらゆる日本人にとって、拝み倒される存在である。
何せ奴は中の人。
本当は大してえらくなくともいちまんえんというだけで国民全体拝まずにはいられないのである。

海を隔てた某半島では、先生、あまり好かれてはいないらしい。
何でも、征韓論者だったとかどうとか。
そんな話を聞いたことがある。
すいません、正直、あまり知りません。この人のこと。

諭吉先生といえば。

「学問ノススメ」
”天ハ人ノ上二人ヲ作ラズ、人ノ下ニ人ヲ作ラズ云々”
当然、読んだことは、無い。すごいらしいというのは聞いたこともある。
”慶応義塾” 作ったらしい。
”咸臨丸にてアメリカへ” 勝海舟とはあんまり仲良くなかったらしい。
”大阪適塾塾頭” 血を見るのが嫌いだったらしい。ちなみに適塾は医塾である。
当方の知識で知っているのは所詮、この程度である。

司馬遼太郎氏の「花神」が大好きである。
氏の著作の中では「坂の上の雲」と同じくらい好きだ。
その中で、主人公である”村田蔵六”の批判者として、先生が現われる。
畢竟、あまり好きでは、無い。
蔵六とは適塾における先輩後輩の間柄であり、蔵六の後を襲い、適塾の塾頭となる。
頭は切れるが何だか斜に構えていて、長州の軍事顧問としての蔵六を端から見下している。
武力による倒幕などナンセンスだ、と言わんばかり。
誰かがやらなければならぬこと、というのは先生もわかっていたはず。
が、それは自分たちではない、というスタンスだったように思う。
自分たちは頭脳労働者であるという、ある種の自負を持っていたのであろうか?

しかし、考えてみればこの二人、案外共通点も多い。
共に幕末~維新期を通しての最高の頭脳と行動力を持っていたということ。
武士、ひいては身分制度というものが大嫌いであったということ。
一時期、幕臣であったということ。
攘夷、等というものが到底実行不可能であると考え、開国論者であったということ。
医者というくびきより外れているということ。
結局、似通っているのだ。
唯一にして最大の相違点は、武力というものを手段にしたか否か、というところであろう。
そのように考えてみれば、或いは同属嫌悪のようなものなのかもしれない。

話はそれるが。
司馬氏の著作中にはよくこのような対比が現われる。
似通った境遇、思想、能力を持ちながら、なぜか生き方に於いて鮮やかな対比をなすのである。
確かに、先生は維新の刃林弾雨を抜け、天寿を全うしているのに対し、蔵六はそれを抜けたと同時に暗殺されてしまっている。
似たような例には、「竜馬がゆく」における坂本竜馬と岩崎弥太郎があるだろう。
激しく生き、そして散る人間と、生き抜いて大業を成す人間。
どちらがいいとは言わぬが、きっと氏は前者のような一種の狂人が好きだったのだろうなどと愚考する。

話しを戻そう。
この先生、なかなかわかりにくい人間ではある。
榎本武明や勝海舟と交わりながら、公然と批判を展開する。
儒者の父を持ち、自身も素養を身に付けながら、思想としてのそれを強烈に憎み、脱却を図る。
一説には居合の達人であるといわれながら、幾度命を狙われても一度も使ったことが無い。
使ったことが無いのに、何故達人とわかるのか?
逆説的に使わなくとも難を逃れられる程の達人という意味合いなのであろうか?
戦争には反対といいながら、やるからにはと募金を募ったりもする。
日清戦争の勝利を子供の如く喜んだりも、する。
兎に角、一筋縄ではいかないという印象である。
きらいきらいといいつつも、実は結構好きだったり、とか。
認めているからこそ、その生き方が許せぬということもまた、あるだろう。

不幸にして生まれた時代が違うゆえ、先生本人とはお話したことが無い。
故に、司馬氏の書かれたような人格であるのかどうかも不明である、が。
曰く、最高の教育者。
曰く、明治における最強の剣士。
曰く、血を見ることが大嫌い。
実に、実に、不思議な人間像だ。
機会があれば是非一度、お話を伺いたかった、そんな壱万円札の中の人である。

かつて、このようにいわれたことがある。
「男のロマンって、つまりはろくでもないものばっかりだよねえ」
反論できませんでした。ごめんなさい。

さて、ロマンである。
20080505付けの某ブロック紙に、面白い記事が載っていた。
”「透明マント」夢じゃない”
という見出しである。
いや、ちょっと、「透明マント」?
ナニそのロマン。

記事によるとこうである。
頭からすっぽりかぶると姿が消える。
そんな完全な「透明マント」を作ることが理論的には可能であると2~3の大学の研究者グループが共同で証明したとのことである。
ごく簡単に言えば、だ。
隠そうとする物体の反対側からやって来る光や電磁波といったものを、うまい具合に屈折させ観測者に届かせることによって物体の存在を悟らせないようにする装置、であるという。
んー。攻殻機動隊の”光学迷彩”みたいなもん、か?

言葉の意味は良くわからんが、兎に角すごいロマンだ。
幼少のみぎりより色々温めていたあんなことやこんなこと。
こういうと犯罪くさい(実際犯罪)が、それが或いは全てかなってしまうチャンスである。
誰しも一度はそんな妄想を思い描いたことがあるはずだ。
無いとは言わせない。
このマント一つあればあんなところやこんなところにすいすい出入りできちゃうかも知れないのである。
ありがとう、ありがとうド●えもん。
やべ、いまから金ためとかねえと。

と思ったら、記事の最後にこのように書かれていた。
「ただし、隠す物体の約四十倍の大きさが必要だ」と。
・・・んー。なかなか上手いこといかないものである。
小型化、軽量化は日本の十八番である。
ぜひとも頑張っていただきたいものだ。



忍者ブログ [PR]
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
最新コメント
[12/17 TathoathSog]
[12/17 AlgossysoolvE]
[08/18 革命]
[08/13 NONAME]
[06/04 NONAME]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
ontai
性別:
男性
趣味:
読書 睡眠 ゲーム
バーコード
ブログ内検索
カウンター
お天気情報