猫が、好きである。
徒歩での移動中など、見かけると思わずにじり寄ってしまうほどである。
基本、連中は触らせてもくれぬのであるが。
大概は間合いを測られ、一定のプライベートゾーンを突破すると、余裕を持って建物と建物の間隙や草むらの中、或いは車の下など、人の入れないところ、或いは追いかけることは出来ても、断念したくなるようなところへ逃げ込んでしまうのである。
そしてひとしきり逃げた後、ゆっくりと振り返ってこちらを観察する。
恐いもの見たさであろうか?
好奇心は猫を殺す、という言葉はこの辺から来ているような気がする。
なんとも、人間的なしぐさに感じる。
猫から言わせれば、人間が猫的である、ということになるのであろうが。
プライベートゾーンは個体や時々の状況によって異なる。
ごく稀にであるが、飼い猫であり、警戒心の薄い個体であり、且つ空腹時などはこちらへ寄って来て足元にぶつかってきたりする。
それはそれでこちらとしては彼(彼女)の将来を思って不安になったりするのだが。
まあ、今時、三味線の材料を求めて町を徘徊するアタッシュケース持った黒っぽい人などそうそういないであろう。
などと考え、ひとしきり遊ぶ。
至福のひと時である。
自分の実家では、一匹の猫を飼っている。
彼女がわが家の一員になったのは、自分が中学生の時である。
ということは、もうかれこれ15~6年にもなろうか。
もうすぐ尻尾も三ツ又に割れそうではある。
わが家の敷地内に彼女の母親が、いつからともなく住み着いたことに端を発する。
彼女の母親は誇り高き生粋の野良。
コゲ茶虎縞、鉤尾で、金緑の瞳、いかにも野生動物らしいしなやかさと精悍さをもつ、なかなかの美人であった。
家業故、広大な当家の敷地を、縦横無尽に駆け回って獲物をハントする姿が度々目撃されている。
近くの叢から、野鼠や雀を咥えてひょっこり顔を出す。
自分もそんな姿に何度か出会っている。
彼女は決して人には懐かず、当家に於いては居候の分際で孤高の存在であった。
いや、居候というのは失礼か。
彼女は決して人間の住居を冒さなかった。
彼女にとっては天と地がわが家だったのであろう。
彼女がわが家の敷地内に住むことが、緩やかながら当たり前の日常になってきたある日。
ふと、彼女の姿が見えなくなった。
家族(といっても当時は、父母と自分のみであったが)はそれなりに心配していたように思う。
そんな日が数日続き、ある日、敷地内に幾つかある納屋の中から、何かの甲高く、そしてか細い鳴き声のようなものが聞こえてくるようになった。
父と自分は、声のする納屋のなかを懐中電灯片手に探し回り、一山の材木の下、蹲る彼女を発見した。
彼女の鳴き声で無いとすれば、答えは一つである。
薄暗い材木の下、出産したのだ。
われわれ親子もとりあえず一息である。
頻繁に訪れると、居場所を変えてしまう恐れがある。
とりあえず当面、餌だけ放り込み、様子を見ることとする。
彼女が再びわれわれの前に姿をあらわした時、一匹の子猫を咥えていた。
彼女と同じ毛色の、彼女そっくりの愛らしい子猫であった。
猫の出産で、一匹のみというのはあまり聞いたことが無い。
確認したわけではないが、子猫の鳴き声で探し出した時も、複数の鳴き声はしなかったように思う。
どうやら他の数匹は死産であったようだ。
とまれ、彼女はまた、当家の敷地内を、子猫を連れ、闊歩するようになったのである。
相変わらず、こちらの事はガン無視か、或いは警戒して近づいてはこない。
子供などを連れているときは、プライベートゾーンが格段に広くなるというのは聞いたことがある。
しかし、産後、結構食い物放り込んだりしたはずなのだが。
まあ、彼女にはあまり関係ないか。
なにせ、孤高の女だし。子連れだけど。
われわれと彼女にとって、再びそんな緩やかな日常が戻りつつあったある日。
不幸は突然に襲い掛かってくる。
彼女が、家の前の車道で、車に轢かれてしまったのだ。
残念ながら、彼女は即死であった。
出産より、まだ数ヶ月も経っていない、とある初秋の日の夕刻のことであったと記憶している。
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