大雨一過で、多少なり涼しくなっているここ札幌である。
こちらでも豊平川が大変なことになったり、あるいは農作物被害が結構なものになったりと、いろんなところに爪あとを残した雨であった。
まあ、相手がオテントサマでは致し方無し。
というのは、都市生活者である当方の罪の無い、それでいてごく軽い感じ方なのだろう。
この時期に収穫前の野菜を根こそぎやられた農家さんたちの苦悩は計り知れない。
この時代になっても、あの仕事という奴は天候=運任せから脱却できないのであるな、大変な生き様である。
今日もおいしいご飯と野菜を食べられるのも、あなた方のおかげです。
そう、ヘタレな我々には、感謝する程度の事しか出来ないのである。
せいぜい感謝だけは毎食時、させてもらおうさ。
やめた途端に某プロ市民風元宰相のマスゴミ廻りが始まった様子である。さっさと起訴されて捕まらないかな、あいつ。
ひたすらに自己弁護を繰り返す姿は、日本人として非常に醜く映るのは当方だけであろうか。
所詮はプロ市民風情である、器ではなかったということだろう。
何かと闘争は出来ても、上にたつ器ではないということだ。
笛吹けど誰も踊らず、切ない限りである。
いずれにせよ、違法献金での告訴状は受理された模様、さんざん闘争の具にしてきた政治とカネで自分が塀の向こうへ落っこちるのは、ご本人どんな気分であろうか。
政治などというものはどだいカネがかかるように出来ているのである、古来より政治家と金のニオイは切っても切れない縁で結ばれているようにも思われる。
昔のえらい政治家さんも言っていた。
清廉な政治をすると、一代で身代そっくり融けて消えるという。
そんなものだろう。
つまりは、何代も代を重ねてきたこの国の政治家たちは、必然的に金を産み取り込むシステムを構築し、その中にいるということである。
安住とは少し違うかもしれない、選挙に落ちればタダの人となる稼業である、少なくとも何年に一度かは必死であろう。
腐敗だな、確かに。
淀めば必ず腐るもの、そう云う思いに支えられ、前回の衆院選.は民主党が歴史的勝利を収めたはずだったのだが。
例のプロ市民は自分で自分の身を貪り食らうが如く、ありとあらゆる公約を全てにおいて切り捨ててしまった。
システムの一端を垣間見て、自分からシステムに取り込まれに動いたのかも知れない。
つまり、システム自体が悪なのであるということになるのだろうか、誰がやっても一緒という言葉は当方の最も憎む言葉ではあるが、実際そのとおりに思えてしまう無力感に苛まれる。
いっそのこと、国会会期中に議事堂に隕石でもテポドンでもトマホークでもなんでもいいから落ちないかな?
連中まとめてくたばればちったあマシな世の中にもなりそうだがね。
いや、こっちの溜飲が多少下がるだけか。
新しくその席につく人間がまた腐るだけであろう。
どうしたものかなあ。
答えの出ない命題である。
考えたところで、暇つぶしくらいにしかならんがな!