ここ幾日かは、雨ばかり降っていた。
鬱陶しいといえば鬱陶しいが、おかげで気温が随分と下がってくれているので、結構過ごしやすい。
どうやら、先週が暑さの峠だった様子である。
夏も過ぎるなあ。
そういえば、近所のコンビニではおでんが始まった様子だ。
流石にまだそんな気分にはならないが、涼しくなってくれるのは歓迎である。
残暑と称する暑い日もまだまだありそうだが、何とかこの夏もしのぎ切ったか、とりあえず一息である。
昨日の新聞に、なかなかショッキングな記事が載っていた。
新設原発に交付金を上乗せする交付規則が成立していたらしいのである。
改正日時は4月13日、ちなみに記者発表はされていない。
これは酷いな。
というか、これで全てが繋がった。
輪番停電だなんだと散々騒いで危機感を煽っていたのは、このあたりにも要因があったのであろう。
まあ、これ自体は随分前から決まっていたことなのだろうが。
内容自体は以下のとおり。
新設の原発立地自治体への交付金の増額。
そして、既存の原発には、これまで運転していなくとも原発規模に応じた交付金が支払われていたものが、この改正からは完全な発電実績による交付という事となる。
交付金の増額に関してはお前らどんだけ原発食い物にする気だ、程度で済むが、後述の部分はある意味監督省庁の原発立地支配の強化策であるといえるのかも知れない。
どんどん作ってガンガン発電しなさいよ、と。
原子炉止めたりしたら金払わないからな!と。
えげつないなあ。
しかもこっそり改正って、どんだけこすっからいんだよ。
言い出せない空気ではあったのだろうがな。
全くもって酷いものである。
そりゃあ連中も必死になるわな。
我々の知らないところで、政治屋も官僚屋も好きにやってるのだなあと思うと、なんだがおっかなくなってくるこの頃である。
依然として、当方のスタンスは変わらない。
現時点で原発を全て廃止することなど不可能である。
当面は原発に頼りつつ、それ以外の道を模索していくしかないだろう。
ただ、福島の状況を鑑みるに、いかに原発というものと共にあることが、ある種の狂気であるのかということが、日に日に強く感じられてきている。
生理的嫌悪感というものに似ている。
必ず事故は起こるということが露呈してしまったし、また、事故が起こればあれほどの被害が出ることを如実に見せ付けられつづけいているのが現状である。
除染だなんだと言っていても、現実にメルトスルーは起こっている訳だし、今現在も放射性物質は着実に放出されつづけている訳である。
感情的には、原発は安全ですとか言っていた幇間学者どもをまとめてブリーフ一枚にしてメルトスルー起してる原子炉建家に放り込んでしまいたいくらいである。
完全実況生中継で。
ただ、それをいったら今まで特に問題にもしてこなかった我々も、ある意味同罪なのであろうとも。
慙愧に耐えないのである。
事故は起こらないといいつつも、チェルノブイリに始まってスリーマイル、東海村と、人類は確実に事故の歴史を重ねてきている。
やはり、原発というものそれ自体が、人類にとって存在してはいけないものなのかもわからんと、最近はそのようにも考える。
しかし、一度文明の快適を味わえば元には戻れないのもまた人間である。
なんとも、因果な生き物である。
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