暑い日が続くここ札幌である。
汁まみれで塩の柱になってしまいそうだ。
こういった炎天下を歩いていると、五分で良いから冬になんねえかな?なんてありえないことを思ってしまうのは当方だけであろうか?
いいや、みんな一度は思ったことがあるに違いないね!
ああ、本当にちょっとだけ、冬になったりしねえかな。
毎度の事とはいえ、やはり夏はキツイ当方である。
さて、先週の競馬もまあ見るところなしであった。
また沈み込んでしまいそうな雰囲気だな。
やっぱ函館記念が、なあ・・・。
未だに引きずっている感じである、女々しい限りだと笑うなかれ。
それほど精神的ダメージは甚大であったのである。
今年もダメなのかなあ、なんてな。
まあ、まだ5分の2ほどは残っているので、ここからがんばって巻き返したいと思っているが。
これで負け犬ワイド収支も-11530円。
暑さに負けず、今週も頑張っていきましょうか。
『剣鬼啾々』は、刹那に生きてそして散っていった、そんな剣士たちの悲哀を描く、笹沢左保氏の傑作短編集である。
先日、何気に寝転がりながら手近にあったこの短編集を開いて目を通していたのだが、とある一編を読み終わりふと考えさせられたのである。
『天に唾を吐く』と名づけられた一編だ。
主人公は美濃神道流の真田主馬。
物語は徳川秀忠の治世であり元和六年、家光が将軍になる三年前である。
当時、当代随一の遣い手、達人、名人とその名声をほしいままにしていた疋田新陰流の春日浮月斎があった。
真田主馬も美濃神道流においては流祖といってよい真田四郎右衛門を父に持ち、また父を凌ぐといわれていた遣い手であり、天下無双といえば浮月斎か主馬かと言われていた。
が、父四郎右衛門が浮月斎と立会い敗れて打ち殺された事により、いやが上にも息子である主馬が挑まねばならぬ事となる。
事は一個の剣客同士の腕比べではない、まともに立ち会っても五分五分であるとは思っているが、名目上でも父の仇をとらねばならぬ身、負ける訳には行かない主馬である。
そこで、浮月斎という人間をまずつぶさに知ることにより、弱点を探り出しそうして確実に勝てる状況を作り出す事とした。
浮月斎のかつての弟子を探したり、或いは彼の親友である柳生兵庫助利厳(尾張柳生の流祖)に当たったりして、八方手を尽くし弱点を探る主馬。
その甲斐あって、どうやら浮月斎は高いところが苦手であるということがわかってきた、ならば高いところで立ち会えばよいと、夕刻、海に向かって日の沈む崖の上を立会い場所に選ぶ。
立会人は柳生兵庫助とその門弟二人。
兎も角も、この立会いは主馬が制し、見事浮月斎を討ち果たしたのであるが、ここで予想外の横槍が入る。
兵庫助が
「策を用いるのは兵法者の常、しかし兵法者は兵法者らしい策を用いねばならぬ。お手前が用いたのは策ではなく、浮月斎を陥れるための罠であった。許すわけにはいかぬ云々」
といい、主馬に切りかかる。
そこで実のところ主馬も高いところが苦手という設定があり、兵庫助は思うところあってそれに気づいており、主馬の首を刎ねるという終わり方である。
最後に兵庫助の
「浮月斎と同様、高いところを苦手としておったのだ。わしはそう看破して試みた。真田主馬は、天に向けて唾を吐いたということになる」
の台詞とともに、むなしさを笑いに紛らした、とあり物語を結ぶ。
結局のところ物語の読み方一つであろうが。
これで、真田主馬と春日浮月斎という二人の剣鬼の生死を描いた物語、とするならばまあそれはそれでいい。
ただ、どうにも気になるのがこの兵庫助である。
まず、策を用いるのは云々の台詞はなんだか非常にしゃらくさい。
大阪夏の陣が終結し、豊臣が滅亡してまだ五年ほどである。
時代的には平和に向かいつつも、未だ戦国の気質を強く残す時代であり、後世徳川の全盛となり儒教を基礎とした武士の面目、筋論などが現れる以前の話である。
柳生という名家のボンにして、御三家尾張松平家の指南役としてのある種の正義感、そして友人を討たれた憤りが言わせた言葉とも取れるが。
しかし、最後の台詞から、兵庫助はどうやら両者とも高いところが苦手である事に気づいていたのである。
ならば、実のところ条件はほぼ互角、策としては主馬もリスクを負っており、責められるものではないのは明らかだ。
ならばあの台詞は一体何なのか?
これは言葉に出してその場にいた門弟二人に聞かせるための台詞であると考えるのが妥当であろう。
大義名分が自分にあるということを示すための台詞である。
どういうことか。
つまり、立会い前から考えていたかどうかはわからぬが、立会いが終わって浮月斎が討たれ、その場には当代随一の遣い手が弱点を晒して立っている訳である。
これを討てば、当然兵庫助が当代随一、天下無双となるのである。
そうして、とっさに名目を立て、卑怯とまで言った弱点を突いて、最後に立っていたのは兵庫助という事になる。
剣士というものの生き様、業の深さというものを、終わってみればこの兵庫助が全て体現しているという事になるのである。
剣鬼とは第三の男、兵庫助であったわけだ。
このあたりに気が付いて、やはり笹沢左保という人の非凡さを改めて感じた次第である。
最近は時代小説からやや遠ざかっていたのだが。
やはり、いいものであるな。
残る短編もいずれも見事なものばかりであり、機会があったら是非読んで頂きたい逸品である。
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