先週末はアントン主演という事で、表題のACACIAを見に行ってきた次第である。
さあ、泣け!といわんばかりの映画であるが、正直どこで泣いたらいいのかわからなかった当方がいる。
果たして、当方の感情の沸点が高すぎるのか、或いは映画自体がダメなのか、後者であると信じたい。
あらすじ
元覆面レスラーの大魔人は、現在では世捨て人のように函館の小さな団地で過ごしている。
そんな大魔人の下に、いじめっ子から逃げてきたタクロウという少年が現れ、助けてやった事によりタクロウと大魔人との交流が始まる。
そんなある日、タクロウとその母親がやってきて、一ヶ月だけタクロウを預かって欲しいと頼まれる。
起居を共にし、より濃密さを増す二人の交流の中で、大魔人はタクロウに失った息子の面影を見出し、また、タクロウも顔も知らない父親の姿を大魔人に見出してゆく。
そして、約束の一ヶ月を迎える頃、二人はお互いの本当の家族と向き合う事となる。
まあ、こんな感じである。
恐らく見所はアントニオ猪木一本であると考える。
脇も結構豪華な面子なのだが、あまりそれを感じさせなかったりする、凄い事なのかどうか・・・。
そんな最大の見所のアントンが、変に頑張っちゃってたりして痛々しいことこの上なかったり。
素人なんだからさ、そんなに頑張んなくてもいいのにね?
素でやってもらえれば、とも感じるのだが、あいつ結構タチ悪い人間だからなあ、大魔人のようないい人には、素でやってもなれないんだろうなあという気も。
ということは、結局主役選びの段階で、映画の失敗は決定していたという事なのだろう。
なんとも切ない限りである。
さて、この映画であることを深く考えてしまった当方である。
それは、子役の存在、そのあり方について、だ。
今作は主役級の役どころとして、タクロウ役に林凌雅という少年が出演している。
まあ、当方はこの映画で初めて見たのだが。
へたくそ、というわけではないんです。
それなりに存在感はあるし、子供ながら頑張っていると思う。
ただ、やはり子供だから、とか、かわいいから、とかでごまかしている部分はどうしてもあるわけで・・・。
例えば、ハリウッドあたりには圧倒的な演技をする子役というのは結構いる訳で、当方の記憶に新しいのはアイアムサムやマイボディガードなどのダコタ・ファニングあたりはその代表と言えるだろうか。
もう、なんというかね、圧倒的だったよな。
あの存在感というやつは、演技とかそう云うのを超越してたもんなあ。
かわいいからいい、とかそういったものではなく、もっとドライにプロフェッショナルに徹するのがあちらの映画の本質なのかも知れない、シビアな世界である。
それに比べて、邦画の世界では、子供にプロフェッショナルを求めていないような気がするのだがどうなんだろう。
今作に関しては腐っても主役級である、いかに脚本や映画自体がヌルいとはいえ、演じるほうもそれなりの覚悟が必要だし、また撮るほうも遠慮などしてはいけないところだと思うのだが・・・。
現状のような子役の扱いが続くようなら、子役がでるような邦画は全て演技的に駄作だという認識になるのだが、どんなものか。
流石にダコタ・ファニングまでとは言わない、あそこまで行けばまさに天才の領域である、しかし、少なくとももう少しばかりプロの自覚を本人も周囲も持って仕事をして(させて)欲しい、そんな風に感じた次第である。
映画としては山なし谷なし、これといった面白みもなく、最後まで行ってしまった作品であった。
見るべき価値は・・・まあ、無いだろうなあ。
きっと、他に楽しい映画はたくさんありますよ?
どうしても、なんか間違ってるがそれでも頑張って演じてるアントンが見たい、という人には、勧めはしないが止めもしないというスタンスである。
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