まあ、実際読書週間など言うものは関係ないのだが。
つい先日、街中にあるブックオフで新潮文庫から出ている
『町奉行日記』
なる山本周五郎商店の短編集を購入した。
ふらふら見て廻っていたとき、ふと、目が合ったものである。
「周五郎か・・・。これは読んでねえな」
棚から引っこ抜くと、何故だか表紙に着流し姿の役所広司?がプリントされている。
やはり(※)袋つきは良い。
こうも袋つきがビシッと決まるのは役者としての筋がよいからであろうと思う。
近頃の若い役者どもはどうにもいただけない。
袋つきが”ダサい”の一言で劇中総髪まみれである。
いや、プロとしての自覚を疑うね、実際。
まあ、あのあたりのチャラい若造どもがどんなに頑張っても袋つきなど似合わんのであろうが。
彼の名手、元西武の辻発彦も言っていた。
「守備なんて物は嫌って上手くなるものではない。自分も入団当時は守備が下手で、実際守備練習を嫌っていたものだ。が、あるときこのままではいかんと思って守備を勤めて好きになるように努力をした。真っ先に特守を志願し、そうしているうちにどんどん上達して、上手くなればまた守備が面白くなる。その繰り返しだった」
さすがにゴールデングラブを何度も受賞している人物の言葉は重みが違うよ。
袋つき一つ嫌ってごねているようでは役者としての懐も知れるというものである。
所詮は●ャニーさんにケツの穴を貸す事しか能の無い変態不良集団程度のシロモノだ。
役者というのもおこがましい。
やはり時代劇演るからにはこう加藤剛の様にビシッと袋つきを・・・。
話がそれた。
この際、袋つきはどうでもいい。
問題は何故、表紙に役所広司が着流し姿でのっかっているかである。
なにやら引っかかるがページを繰って表紙裏をみて納得した。
何年か前
『どら平太』
という変な映画化をされたのがこの
『町奉行日記』
なのであろう。
出版社も少しでも売らんがために必死であるなあ。
あまりこういう売り方は好きではないが、これをきっかけに購入し、読んだ人々がそれで活字を好きになってくれるのならば、まあ、意義の無いことでもないかとも、思う、事とする。
短編集なだけにさらりと読めるものが多い。
武家もの、人情もの、市井もの・・・。
さまざまあるが、やはり当方の独断では、氏の真骨頂は滑稽ものにあるのではないかと思う。
この短編集の中では
『わたくしです物語』
『修行綺譚』
あたりがそうなろうか。
登場人物は皆一癖も二癖もある人間ばかりである。
それらの人間が実に滑稽な物語を織り成してゆく。
兎に角、科白のテンポが良い。
文章自体もポンポン進んでいく。
時に噴き出しながら、ゲラゲラ笑いながら、感心しながら。
あっという間にページにして四~五十ページ読めてしまうのである。
ここは一つ、当方の気に入っているところを
『わたくしです物語』
のなかから一ページほど抜き出してみよう。
─────────
「おれはあの生っ白い面を、ひっちゃぶいてやりたい、こう、こう、こんなふうに」
老は例の夫婦の時間に、このように云って、両手で何かを掻き毟るような真似をし、続けさまに酒を二三杯呷りつけた。
「与瀬との婚約もお断り申します、へっ、いやにすましたようなことを云って、その舌の根の乾かぬうちに密通じゃないか」
「あなた、子供に聞こえますよ」
「あの娘も娘だ」老は続けた、「あんな罪の無いような顔をしていて、あたくしなんにも存じませんの、てなような顔をしながら、実は何もかも承知、万事万端、人躰のどこがどうなっていて、どこをどうすればどんな気分になるか、みんな知っていたじゃないか、知っていて実行したればこそ」
「あなた、子供に聞こえると申上げてますのよ」
「聞えたら耳を塞いでいろと云え」老はまた二三杯も呷った、「とにかくあの娘は、ちゃんと知るべきものを知っていた、いや、ことによると娘のほうから押っ付けたかも知れぬて、うん、なにしろ女という動物は総体がス・・・」
「あなた、わたくしも女でございますよ」
「だから云うんじゃ、現におまえが何も知りませんてなような顔で来て、そのつもりでいたらいやはや、どう致しまして、とんでもない」
「あなた妙な事をおっしゃいますのね、それではなんでございますか、何も知らないような顔をして、実はわたくしがス・・・」
「これ声が高い、子供に聞えるではないか」
──────────
実に見事なものである。
その場面が目に浮かぶようだ。
それでいて読後感が妙に良い。
読み終わると、なにやら幸せなような、すがすがしい気持ちが残るのである。
そのあたりが凡百のエンターテイメントと一線を画しているところではないかと感じるのである。
他に当方が好きな氏の滑稽ものといえばすぐに思い浮かぶのが
『竜と虎』
という短編である。
これもとても面白く、それでいてよいお話である。
一体、山本周五郎作品というと
『ながい坂』
『樅の木は残った』
『虚空遍歴』
『正雪記』
等のような、人間の苦悩や人生の喜怒哀楽などを題材とした硬派でとっつきにくい純文私小説、という印象がある。
確かにそのようなものも上手いが。
しかし、上記のような滑稽ものにこそ、その人間への暖かな視線や小説における技量というものが顕著であると感じるのである。
まあ、所詮はダメ人間のタワゴトに過ぎないわけで、人がましく書評などをして恥ずかしくもあるわけだが。
雲上の氏にしてみれば
「わのしなんぞにおれの書いたものを批評されたくないワイ」
というところであろう。ごもっとも。
まあそれでも。
せっかくの読書週間である。
もし当方の駄文、あるいは抜粋を読み、少しでも気になってくれたのならば。
探して読んでみてくれるとうれしい限りである。
※袋つき 月代(さかやき おでこから頭頂、やや後頭部まで)を剃り上げた、時代劇においてごく一般的なヅラのこと。近年、冬の時代である。
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