近頃、なにかとかまびすしい。
かの空幕長のあやしげな論文騒動である。
残念ながら、当方は彼の論文をいまだ読めないでいる。
何でも、PDFファイルのバージョンが旧いとか何とか。
読まねば否定も肯定も出来ないので、いっぺん読んでみたいとは思っているのだが・・・。
聞いた限りではあんまり評判はよろしくないなあ。
何でも、自虐史観からの脱却を唱えているとかなんとか。
そも、自虐史観という言葉自体が大変に否定的文言である。
当方の義務教育時代は、歴史、主に日本史さらに日中戦争から太平洋戦争に至るセクションにおいては確かに
「日本という国のあの時代は大変に悪い時代でした、我々はアジアの国々に対して大変に失礼で乱暴で言語道断なことをしました云々」
ということくらいしか教わっていないような気がする。
正直、あまりのつまらなさにそれほどはっきりとは覚えていないというのが実情である。
中には中学の授業においておじいちゃん先生が
「ミッドウェー海戦の勝ち方を考える」
等という大変に興味深く、また教育委員会が聞いたらぶち切れそうな講義を涙ながらにぶち上げたクラスもあったと聞いた事もあるが。
こんなのは例外中の例外である。
総じてこのあたりについては腫れ物扱い。
紋切り型に
「ああすいませんすいません私がわるうございました」
に終始するのが戦後教育の確立されたスタイルというもののようである。
まあ確かに、この程度の内容では”自虐”というにふさわしかろう。
つまりこれは
『歴史のある一点を抜き出してその善悪是非について断ずる』
というおよそ
”歴史”
というものとはかけ離れた一つの起こってしまった事柄に対する”見方”に過ぎないのである。
思考放棄とも言えるであろう。
何故、あの戦争は起こってしまったのか?
何故、日本国内でそのような世論が醸成されるに至ったのか?
何故、軍部はあれほどまでに暴走することが出来たのか?
何故、それを止めることが出来なかったのか?
何故、世界はそれを許してしまったのか?
この”何故”というのが徹底的に欠けているのである。
帝国主義の爛熟期。
それが熟柿の様に地に落ちる寸前の事。
世界は、アメリカ発の世界恐慌というものを経験した。
世界経済が同時にパンクしたのである。
会社がつぶれて首をくくる者。
職を失い路頭に迷う者。
わずかな、その日食いつなぐに必要な金のために人を殺すもの。
このとき、人ははじめて世界を支配しているものが経済というバケモノであった事を知る。
そんな時、国家として持てる者はたとえ様も無い愚策を打つ。
多くの植民地を持つ列強と呼ばれる各国は各国同士の経済的交流を断ち切り自国のみの資源、資金力で国家を切り回す、それ以外の貿易相手国を不要とし切り捨てる、所謂ブロック経済圏を確立するに至る。
これはある意味、成功を収めたように、見えた。
貨幣的な流動性は薄れるがその分他国の経済の悪化に足を取られる事も無く、他国の投機を締め出す事により自国民のみに必要な経済を産む企業を保全することが出来るからだ。
が、それでめでたしとはいかない。
当然である。
それは食料からエネルギー、金属などのあらゆる資源を自国とその経済圏である植民地で全てまかなえるからこそ出来る芸当である。
それまでの貿易相手国は、世界恐慌に重ねてこの激変でほぼ完全に息の根を止められた。
大国より経済的に締め出され、資源の輸入も途切れ、あるいはそれだけの資力も底をつき。
その日の生活物資にすら事欠くありさまとなる。
ここで、多くの後進国は学んだ事だろう。
資源のあるものが生き残る事を。
植民地のあるものだけが生き残る事を。
とはいえ、すでにほぼ全ての資源産出地は列強によって色分けされている。
ならばどうすればよいか?
簡単である。
かれらがそうしてきたように、奪えばいい。
帝国主義社会とはつまるところ、力こそが全てである。
ルールと呼ばれるものもあるにはあったが、ほぼ全世界において列強と、植民地と、それ以外の国家に分けられてしまっている以上、列強の権益保護的な側面が強固であった。
少なくとも、それ以外の国家に味方するものではなかったといえる。
帝国主義の最後進国であった日本がそのような考えのもと、暴走をはじめるのも、あるいは、歴史の必然であったと。
そのように考えるのは、果たして間違いといえるであろうか?
以上が、教科書が教えなかった当方の持つ歴史観である。
やってしまった事。
起こってしまった事。
それを中身も教えずにただ闇雲に否定する事。
それで果たして正しい歴史認識を育てることが出来るのか?
物のわからない子供であるからこそ。
しっかりと考えさせ、導かねばならぬのではないか?
そのように考えるのである。
が、この国の良いところは、当方のような凡俗でさえ。
教育から離れ、それを考え、学ぶ事が出来るという所にある。
確かに、過去、この国が起してしまった戦争は。
断言しよう。
侵略以外の何者でもない。
多くの国家と人間を蹂躙した、非道以外の何者でもない。
軍は暴走し。
議会は追認し。
国民は盲目的に従い、ある意味、集団発狂の様相を呈した。
悪いものは悪い。
あれ以上愚かな戦争は無いであろう。
三位一体となり竜車に突撃する蟷螂の感すらある。
滑稽といえばこれほど滑稽なものはあるまい。
が。
当時の社会情勢を考えず、現在の倫理規範でその事実を勘案する事もまた滑稽という以外の何者でもない。
現状の義務教育における戦争史観がそれに当たる。
学び、考え、反省する。
この、学ぶ、と考える、をすっとばして反省だけしているのが現在の戦争教育である。
そりゃあ薄っぺらいはずだ、記憶にも残らないほど。
我々は戦争を知らない世代である。
が、学ぶ事は出来る。
学ぶ事により、何が悪かったのかを認識できる。
認識すれば、反省する事もまた可能である。
それはとても意義があり、また、幸せなことの様に思う。
この先、あの悲惨な戦争を繰り返さぬために。
考えねばならぬ時期に来ているのではないか?
少なくとも、田母神某の論文騒動には。
その程度の意義はあったように思う。
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