昼日中はまだまだ汗ばむ陽気であるが、それでもふく風は確かに秋の涼気を孕んでいる様子である。
競馬は・・・まあダメダメですわ。
予想的には悪くないのだがなあ、リアルハヤテを何とか▲まで押し上げられなかったものか。
後悔ばかりが降り積もっていくなあ、実際。
それが生きるという事なのだろうか。
さて、そんなダメな話はおくとして、先週は表題のとおり、『クレイジーハート』を鑑賞してきた。
この映画について、つらつら述べていこう。
あらすじ
バッド・ブレイクはかつて一世を風靡したカントリーシンガーである。
そんな彼も現在は老境に差し掛かり、本業のシンガーとしてはもう何年も新曲を出せないまま、かつての持ち歌でドサ回りしながら埋め草の如き日々を過ごしていた。
酒びたりでアル中なそんな半老人に、とあるドサ回り先で地方紙の記者、シングルマザーであるジーンが取材を申し入れる。
バッドはそんなジーンに一目ぼれ、彼女もバッドの情熱を受け入れ、彼にとっては久しぶりの人間らしい生活が戻ってきた。
二人のために頑張ろうとするバッド、しかしそれもつかの間の話だったのである。
果たして、二人の仲はどうなるのか、バッドは立ち直ることができるのであろうか?
この映画を見てつくづくと感じた事。
それはなんと言っても「女は強えなあ実際」という事である。
男なんて生き物はどうにも昔を引きずるもので、例えば十年も前に酷い別れかたをした昔の女のことを時にふと思い出しては「あの時こうしていれば・・・」とか考えてのた打ち回ったりする事もあったりなかったりである。
あれ、ひょっとして俺だけか?
まあそれはそれ、男だったら引っ張ってしまいそうな事柄にも、女というのは、ハタから見るとそんな過去はまるで無かったかのようにさっと切り替えて次の現実に向かっていける剄さというものがあるような気がするのである。
このジーン役のマギー・ギレンホールもそんな女の一人。
まあ、子供作って相手と別れて、そんでもって次の男がアル中のカントリー歌手という時点で最早ダメ男スキーなかほりがプンプンなのであるが。
それでも「コイツダメだ」と思ったらぱっとぶった切って次会った時は左手の薬指に指輪を嵌めてるとか、もう我々ダメ男からすると感心する事しきりである。
もし、こんな光景に出会ってしまえがば、我々ロマンチックダメ男はいろいろ考えたり思い出してしばらく放心する以外に取れる行動など絶無であろう。
本当に、男って奴ぁなあ。
まあそんな主観臭漂うダメ感想は別として。
先ず、そこそこ面白い映画ではあった。
世の無常、ダメ男の再生、そして再生してなお世の中はダメ男を置き去りにするかの如き終わりようは、ある種の強い感慨を、観る者に与えずにはいられないだろう。
思わずスクリーンに向かって、頑張れ!と叫びたくなってしまった。
しかしまあ、何と言うか、主演のジェフ・ブリッジスの汚ねえこと汚ねえこと。
あそこまで行けばただの小汚いジジィである。
とてもアップには耐えられないといったところだ。
それでもまあ、流石に名優と呼ばれる人種だけのことはある。
その存在感は圧倒的だ。
例えば、バッドの弟子で現在はスターとなっているトミー・スウィート役でコリン・ファレルが出演しているのだが。
まあ、わざとそのように演じそのように撮っているという事もあろうが、一緒に同じ場面にいると、どうしてもフンワリ浮いて見えたりするのである。
重ねた年輪の重さとでも言おうか、まあ、コリン君にとってはちょっとばかり損な役回りであったとも言えようか。
逆に、わざとそんな風に演じているならたいしたモンだがな?
そして、狸顔のマギー・ギレンホール。
まあ、なんというか安定したいい演技なのだが、観ているうちにその狸顔がかわいく見えてくるから不思議である。
これが銀幕スタアの魅せる力という奴だろうか。
もう、終わる頃にはマギーたんにメロメロである。
イイ女万歳!
もう札幌あたりではそれほど上映期間も残っていないだろうが、機会があったら観て損は無い映画であろうと思う。
こんな風に後を引く映画も、たまにはいいものである。
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