むう、また1着3着か。
世の中辛い事や悲しい事ばかりである。
それにしても、マチカネニホンバレは本当にダメだな。
一番人気になった時点でうわあダメっぽいと思ったが、案の定ダメであった。
そして、天秤にかけて切ったインバルコが2着、と。
ため息しか出ないな、実際。
ままならねえものである。
ダイシンオレンジは本当に京都の鬼だな。
今回は差も小さいが、それでも勝ちきってしまうのが鬼の所以だろう。
フェブラリーステークスは・・・どうだろうな?
もちろん府中という事もあるし、いかにも中距離向きっぽい感じもするんだよなあ。
マイルの時計勝負となれば、どうしても厳しいかと感じてしまうのは致し方なし、か。
ダートのトップクラスとの差もあるだろうしな。
まあ、まだ一ヶ月ある、じっくり様子見ながら考える事としようか。
先週末は駅まで出て、新しい湯のみ探しに新刊ブックハントとしゃれこんだ。
買ってきたのは大振りの頑丈そうな一服茶碗。
そして新刊は
・『策謀 警視庁追跡捜査係』 堂場舜一
・『深遠のガランス』 北森鴻
・『共犯マジック』 北森鴻
・『虚栄の肖像』 北森鴻
・『野草雑記・野鳥雑記』 柳田國男
以上の五冊である。
帰宅と同時に湯を沸かして茶碗を放り込み、早速文庫に
手を伸ばす。
先ずは堂場舜一から。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
ハッ!
気がついたら暗くなっていた!
相変わらず面白かった、一気に一冊読み終わってしまった。
何と言うか、読ませるのが上手だよな、この人。
別段、たいした事書いてるわけでもないと思うんだけど、それでも面白いのだから笑ってしまう。
紛れも無い才能であると言えよう。
いかんいかん、もう少しゆっくり味わわなければもったいない。
とりあえず北森鴻は新しい週のお楽しみに取っておくこととして、柳田國男に手を伸ばす。
言わずと知れた民俗学の巨人である。
岩波文庫青を流し見ながら伝習録を探していたのだが、どうやら見当たらない様子、岩波文庫では出ていないのだろうか。
と、目に付いたのがこれである。
そういえば昔、渋沢龍彦がなんかのエッセイの中で、たんぽぽの語源について柳田翁の著述を引用していたように思う、これではあるまいかと手を伸ばしたのである。
とりあえず湯に漬けた茶碗を引き上げてお茶を入れ、ゆっくりと取り掛かる事とする。
虎杖および土筆について、という一章がある。
虎杖と書いてイタドリ、土筆と書いてツクシと読む。
それぞれの土地においてのイタドリの呼び方、方言や地域差などを考慮しての分布を詳述しており、なかなかに興味深し。
イタドリ、イタンドリ、イッタンドリ、エッタンドリ、イタズリ等等、地域に寄って様々呼びやすいように矯正されてきた様子がうかがえる。
まあ、そこまでならばいいが、さすがにスカンポとかイタコンとかイッタンダラケとかエッタスイスイとか言われても、もう何言ってるのかわかんないですよね?
本当にイタドリという語源から変化したものかどうかもアヤシイシロモノである。
さらにはイタロウとかゴンパチとか、もう人間の名前?って感じの呼び名まである様子、先生はごく地域が限定された”仮初なる流行に始まる”呼び名と位置付けられているようである。
ちなみに。
東北地方ではイタドリのことを「サシボコ」と呼ぶ地もあるそうな。
驚いた。
何が驚いたって、きくち正太の漫画で今はイブニングで連載している『おせん』という奴があるが、あれにサシボコというのが山菜として登場するのである。
イタドリって、人間の食い物なんだなあ。
とおもったら、書いてある。
ギシギシとも呼ぶそうであるが、その条で
「ギシギシという名はまた紀州の有田郡などにも飛び離れて存在する。これは虎杖の歯に当たる感覚で、あれを愛食する者のあどけない形容のようである」
とある。
ほー。
イタドリといえば、当方などは釣りえさのイタドリ虫を思い出すんだが、イタドリの竹状の茎をへし折ると、白い虫さんがにょろっと出てくるのである。
いい釣りえさとして、大変重宝するものなのだが、まあ、人間喰う気になれば何でも喰えるよね?
確か前述の漫画では、イタドリの春先に出る若い芽を取って、味噌田楽風に焼いて食べていたっけかな?
うろ覚えであるが、今度やってみようかしらん。
アクが強そうだけどなあ、カタクリみたいに腹下さないといいが。
とまあ、なかなか楽しい内容である。
まだ半分程度なので、このあとも楽しみしようか。
気が付けば、本ばっかり読んでいた週末であった。
ま、たまにはいいさ。
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