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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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今回の丸紅騒動で思い出したものがある。
タイトルはもはや忘却の彼方であるが、星新一氏のショートショートの中の一篇だったように思う。

一人の男がいた。
彼は悪人である。
いずれ、会社の金を持ち逃げしてやろうと思っている。
一生涯、あくせく働いたところで、彼の手に出来る生涯賃金などタカが知れている。
ならば・・・というわけである。
しかし、悲しいかな、彼は一介の平社員である。
したがって、持ち逃げできる金額もわずかなものでしかない。
このままではいけない。
彼は必死に働いた。
他人の嫌がる仕事も進んで引き受けた。
毎日のように残業もした。
畢竟、周囲から一目置かれるようになる。
昇進もし、責任ある仕事も任されるようになった。
彼は内心愉快に思っている。
「ここで俺が会社の金を持ち逃げしたら、俺のことを買っている連中はどんな顔をするだろう」と。
同時に「まだだ、もっと周囲の信頼を得なければならない。そうすれば、俺の持ち出せる金も増える」と、気を引き締めるのである。
彼はその後も猛烈に働き続けた。
新しく出来た部下の相談にものってやった。
上司の紹介でしたくも無い結婚もした。
これも全て周囲の信頼を勝ち得るためである。
周囲が彼を信頼し、昇進すればするほど持ち逃げできる金額=彼の財産が増えるのだ。

そして十数年後・・・。
彼は摩天楼の最上階で、とある経済紙の記者のインタビューに答えていた。
「あなたは史上最年少で御社のトップとなられたわけですが、その秘訣は何ですか?」
「いや・・・。私はただ、必死にここまで働いてきただけですよ」
彼は思った。本当のことなど言えるわけが無い、と。

なんとも氏らしいストーリーである。
誰かが言っていた。
「古今東西、人間の原動力などというものは所詮色と欲である。肝心なのはそれをいかに隠蔽するかだ」と。
強すぎる欲望を持つものは、強靭な精神力で持ってそれを上手に隠さねばならない。
隠し切れぬものは犯罪者となり、隠せるものは成功者と成るのかもしれない。
平々凡々な自分には窺い知れぬ境地ではあるが。
こんなことを思うと、なにやら少しだけ、物悲しい気分になる。

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世間は通り魔騒動で随分とかまびすしい。
春なんだなあ、と。
虫さんや木の芽草の芽と共に、キティさんも涌いて来る季節である。
とりあえず、家宅捜索なんかでそれっぽいエロゲーが出てこなければ良いなあ。
スワソンとか。ひぐらしはいいや、別に。

さて今回の表題。
星の夢、である。
断じてお米ではない。
数日前、とあるブロック紙の夕刊に
「太陽系外惑星に有機物を初確認」
という記事があった。
これについて少しだけ考えてみたいと思う。

確認したのはNASAの研究チームである。
ハッブル宇宙望遠鏡なるもので、惑星が恒星の前を通り過ぎる際、当該惑星の大気を通過した光を解析する。
その結果、メタン特有の波長が確認されたということである。
メタンがある、ということは、生物が存在する可能性がある、ということになるらしい。
当方、文系なので詳しい事はわからぬが。
ただし、当該惑星の表面温度は九百度ほどもあり、生命は生きられぬ環境であるようだ。残念。

しかし、ロマンである。
太陽系外の惑星に、未だ見たことが無い生物や人の住める場所があるかもしれないというお話。
考えるだにぞくぞくする。
この広い(といっても自分などはただ漠然ととても広そうに感じるという程度の知識しかないわけであるが)宇宙、そんなところが絶対にあるに違いないと思うのである。
惜しむらくは、自分の目でそんな世界をおそらくは確認できないであろうことなのだが。
しかし、いずれは人類がそんな惑星に向かって飛び出してゆくのかもしれない。
第二の開拓時代の到来である。

ただ、そんなことを言いながら、自分はUFOの存在は信じられない人間である。
UFOなどというものはいわば、謎の超古代文明なんちゃらや幽霊の存在などと一緒だ。
つまり、難儀なことに、自分のこの目で見ないと信じられない人間なのである。
目の前にUFOが下りてきて、中から宇宙人が現われたり、学問の場裏に於いてそんな文明が確かに存在したと確認され証明されたり、或いは始めて泊まったホテルで壁の中から白っぽい半透明の女が出てきて足首を捕まれたりと、そんな風な段階にならなければ信用は出来ぬという、ある意味超保守的な人間なのであろう。
だから、信じられぬというだけで、完全に否定しさることも出来ないのである。
いると思えばいる、いないと思えばいない。
目の前にUFOや幽霊が現われたなら、その存在に対する一生涯の信者になってしまうかもしれない。

遠い宇宙のかなた、われわれのような生き物がいて、星を眺め、同じようなことを考えているのかもしれない。
春の宵空を眺め、そんな取り止めの無いことを考えてみるのもたまには良いものだろう。
そんな風に思う。

さて、ここも開設より実働二ヶ月となる。
しかし、二ヶ月でカウンター150って。
しかも半分以上自分で踏んでるし。
アクセス数を増やそうと思えば色々とアクティブに動かなければならないのだろうが、どうにも面倒である。
大きなサイトさんに日参してリンクを貼ってもらったり。
表紙のデザインも色々凝ってみたりと。
考えるだに大変そうである。
ピングの更新と送信すら滞り気味な自分が、である。
まあ、開設理由が自分の作文の勉強ということもあり、あまり衆目に自分の自慰行為のような駄文をさらすのもまたアレだと思うのでこれはこれで良しとしようと思う。
断じて負け惜しみでは、ない。

先だって述べたように、ここはontaiの作文練習部屋である。
どうにも、文章を書く、ということが苦手だ。
三十にして立つ、ではないが、衆目に多少は触れるであろう緊張感を持って学ぶのも良いか、等等思ったのが開設のきっかけではある。
むろん、それだけではないが。

人付き合いが、希薄である。
仕事を持ってしまうとどうしても仕方の無いところではあるまいか。
愚痴をこぼせる友人、というものがあまりいないのである。
もともと人付き合いが苦手というのもある。
であるからして、いいものはいい、悪いものは悪い、といえる場所がほしかったのかもしれない。
愚痴をこぼす場所、といってもいい。
この歳までカツカツながら何とか生きてきた。
愛想笑いを覚え、他人への追従を覚え。
たいして面白くも無い話に笑い、あいづちを打って来た。
悲観するほどたいしたことではない。
生きんがためには誰もがそのようになるものである。
だが、そればかりではいささかキツいのも事実。
だからこの場は、日々の無聊を慰める場でもあるのだ。

ただ、これがなかなかに難しい。
もともと作文が苦手な人間である。
目安として大体一日1~2時間程度書く為だけにモニターに向かっているのであるが。
それでもやっとこ週2~3回更新できれば良い方である。
1文あたり3~4時間掛かっていることになろうか。
何をこの程度の駄文に、と思われるであろうが、それでも当方、色々必死である。

で、最近とみに思うところがある。
読書量が激減しているのだ。
ブログ始める前はひと月に大体十冊以上の本を読んでいたのだが。
今月はまだ三冊しか読めていない。
まあ、今読んでいるのがあまり面白くないというのもあるかも知れないが。
それにしても結構なペースダウンである。
まあ、確かに。
二時間あれば赤川次郎や鈴木英司なら一冊読んでお釣りが来る。
量自体がへるのは致し方無しであろう。
別段、量を読みたいわけでもないし。
ただ、毎月始めに読みたい本をダーっと購入するのだが、今月は未読の山がなかなか減ってくれないのである。

山は山のまま、そのまま埋もれてしまうのだろうか?
来月あたりから、本の購入量をすこし考えねばならぬか。
そのように感じる、この頃である。

やや、暴走気味なようだ。

「埼玉の小学生の女子を二月二十九日十三時に殺します」
こちらは千葉県の公立小学校女児(10)の某所への書き込みである。
「三月三日十五時に福岡県内の小学生を殺してみる」
こちらは福岡県内の小学生男児(の疑いが強い)が2ちゃんに書き込んだようである。

所詮ネットの書き込みなど一時の暇つぶし。
署名を入れるわけではなく、捺印するわけでもない。
自分も含め、言いたい放題の言いっぱなしである。
高度な匿名性といえば聞こえはいいが、せいぜいが便所の落書きレベルである。

誰しも、落書きくらい、一度はしたことがあるだろう。
便所だろうと壁だろうと床だろうと、場所は問わない、どこでもいい。
○○くたばれ、だとか。
○○地獄に落ちろ、だとか。
ち○こ、だとか。
今回のも結局はその程度のものではなかろうか。
後者のは、どうも模倣くさいが。

問題はそれがネット上である、というところか。
便所の落書きなんぞ、誰も身を入れて読もうとはしない。
壁も床もまた然り、である。
ネット上、不特定多数が読むであろうところにこんな文章を貼り付けてしまうことそれ自体が問題なのである。
確かに、こんなのを見せられたら誰しもドキッとすること請け合いである。

われわれの世代などでは考えるべくも無いが、ネットというものが今の小学生にとってそれほどまでに身近な存在であるということが、いささか驚きである。

インターネット、というものが身近になり始めたのは、今から大体十数年前ぐらいであろうか?
その頃、自分も必死でバイトをして、念願のニューマシンを買ったものである。
cerelon400、メモリ64mb、810チップセットオンボード、CDROMdrive×1
こんな粗悪なマシンでもコミコミで二十万くらいしたものだ。
それを考えると現在の状況はまさに隔世の感、というやつである。
たった十年くらいのものなのに。
まあ、それを言い出したらMSXや88や98やTOWNSの世代の方が黙っちゃいられぬだろうが。

一家に一台、学校では授業すらある。
頭の足らないクソ餓鬼が小汚い公衆便所と勘違いしてもおかしくは無い世相である。
ご丁寧に家のマシンで書き込みしたり、串の一本も通さなかったというのがご愛嬌といったところか。

世の中が多様になるのは結構なことだ。
だが、それに伴い”ルール”というものも当然、増えてゆく。
今後はそういったネット上でのコンプライアンス教育に力を入れなければならないのだろう。
小学校の先生というのもなかなかに大変な職業では、ある。

今週末、ヒキコモったこともあり、幾分快方にむかっているようだ。
何度経験しても、風邪とは厄介なものである。

さて、2008/3/1付けの某ブロック紙において、札幌市民への調査捕鯨に対するアンケート調査があった。
結論から言えば賛成は68.3%、反対は28.4%とおおむね賛成のようだ。

外圧、殊に西洋人種への反発もあるのかもしれない。
北海道ではどこぞのスキー場のゴンドラ内に小汚いアルファベットで
「Don't eat me」
という鯨の絵の添えられた落書きが多数、見つかるという事件がおきている。
まあ、多少、余裕を持ってみれば
「ああ、どこの国にも阿呆はいるもんだなあ」
ぐらいですむのだが、どうにも許しがたいという人も中にはいるだろう。
それとあの高圧的で傲慢な態度。
他国の船にぶつける、忍び込む。
連中にとっては英雄的行動なのかもしれないが、こちらから見ればただのならず者である。
自分から見て、どうにも何かに取り憑かれているようにしか見えないのである。

とはいえ、自分は別段、調査捕鯨に関しては賛成でも反対でもない。
実際問題として、一部の鯨は絶滅の危機に瀕しているのは確かである。
商業捕鯨モラトリアムによって絶滅を免れた種がいるのもまた事実だと思う。
鯨は増えている、という捕鯨国の論に対しても、いつの段階から見て、量的にどれほど増えているのか、という明確な基準と数値とデータが示されていない、というのも問題である。
まあ、それ故に、調査捕鯨が必要である、という事になるのであろうが。

また、同様に反捕鯨国に対しても言えることである。
捕鯨とは全く縁の無い国家をIWCに引き込んで多数派工作を行う事に一体どんな意味があるというのか?
結局は両者の対立感情を悪戯にあおるだけではないのか?
また、捕鯨国には捕鯨という名の文化があることも確かであるのに、それすらも認めようとしないのは如何なものであるのか。
捕鯨により鯨が数を減らし、絶滅するというのも実際、明確な数値とデータを示せるわけでもないのである。

結局、外側から見ていると、両者ともにどうにも感情的で情緒的ないがみ合いを続けているだけの様に見えて仕方が無いのである。

自分も最近ではとんと口にしなくなったが、以前は時折鯨を食べたものである。
残念ながら、肉といえば鯨、という世代でもない。
往時、鯨といえば決してうまいものではなかった。
あの不自然に赤い鯨のベーコン。
筋っぽい竜田揚げ。
懐かしくはあっても、好んで食べたいと思うものではない。
今食べたら、おいしいと感じるものなのであろうか?
どうなのだろう。

もし機会があれば、鯨を食わせる店でも探して、久々に食いに行ってみるのもいいか、そんな風に思うこの頃である。



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