2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 高裁判決が出た。 地裁、高裁と一貫して量刑の中心であったのは被告男性の年令について、である。 事件発生当初より、この話題は折に触れメディアを賑わわせてきた。 果たして、量刑が世論というものに引っ張られる、ということがあるのであろうか? 「被害者感情を重視した判決」 とはいえ、来年より始まる裁判員制度により、その衆愚が裁く側に立つことになる。 PR 自分はどうやら徹底的に彼女のピンチに縁があるらしく。 彼女が家にいつくようになって数年がたち。 彼女の腹がずいぶんと大きくなってきたある日。 彼女のいたところには死んだ子猫が二匹。 役人のような神経質な面を想像していたお医者さんだが。 ここまで苦労させられたわけであるから、こちらの思い入れもそれなりであるのだが。 仕事から帰ってきた父が、それを発見することとなった。 そのようにして当家にいついてしまったのが現在の飼い猫である。 ちなみに、この子が女の子だと判ったのは家に来てからである。 飼い猫とはいえ、彼女の野生の血は消しがたかったらしく。 彼女にとっての家庭内の地位は、おそらくはこんな感じであろう。 先ずは父。 次は母。 そして自分である。 猫が、好きである。 徒歩での移動中など、見かけると思わずにじり寄ってしまうほどである。 プライベートゾーンは個体や時々の状況によって異なる。 自分の実家では、一匹の猫を飼っている。 彼女がわが家の敷地内に住むことが、緩やかながら当たり前の日常になってきたある日。 彼女が再びわれわれの前に姿をあらわした時、一匹の子猫を咥えていた。 われわれと彼女にとって、再びそんな緩やかな日常が戻りつつあったある日。 過日、機会あり、原作 藤沢周平、監督 山田洋次の”武士の一分”を見た。 自分は、藤沢周平氏が大好きである。別格である。 池波正太郎氏や柴田錬三郎氏などは、自分の作品が映像化されることを随分と嫌ったそうだ。 確かに、武士の一分を見る限り、作家が映像化を嫌がるのも、分かる気がする。 そも、どだい無理な話なのだ。 自分が思うに、実在する美人の女性というものは、想像上における理想の女性というものを決して超えられないのである。 逆に、映像的なスピード感のある文章をかかれる人もいる。 今後、藤沢氏原作の映画を見ることなどもう無いであろうが。 |
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