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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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宝塚記念は残念であった。
しかし、怪我ばっかりはなあ。
南半球産ということでこれから楽しみにしていた馬だけに、なおさら残念である。
競馬をやっていれば、馬の怪我で悔しい思いをするというのはよくあることだ。
有名なところでは98年の秋天のサイレンススズカの故障などであろう。
が、当方がもっとも鮮明に記憶している、ある不幸なシーンがある。
いまからちょうど八年ほどまえのこと。
忘れもしない5月20日、東京の第2レース。
旧年齢表示で4歳未勝利戦の出来事である。

当時、自分は転がしというものに嵌っていた。
競馬の醍醐味はなんと言っても転がしである。
少ない資金で大きく稼ぐ。
そのためにはやはり転がしこそ正解であると、現在でもそのように考えている。
もちろん、なかなか上手くはいかない。
どんなに堅く狙っても、まあ三つ転がれば御の字である。
開催前夜に競馬新聞を購入し、がっちり予習を行う。
堅いであろう馬の単勝、或いは人気は無いが面白いと感じる馬の複勝をあらあらとピックアップしてゆく。
そしてそれらを精査し、三レースに目星をつけるのである。
当日は新聞など不要。
お財布にその日のスタート金額だけ放り込み、赤ペンもっていざウインズである。
外れたらその場ですっぱりとあきらめ帰宅する。
財布に余分な金を入れておくとそのあたりは馬券師の性、弾が尽きるまで突っ込んでしまうので大変危険である。
そのような、ある意味健全な馬券生活を送っていた最中の出来事であった。

2000年5月20日、土曜日。
当の東京競馬場は小雨のぱらつく生憎の天気であった。
前夜に予想した購入レースは1R、2R、10Rの三つである。
第1R。
お財布に放り込んであった五千円を、迷わず③ゲンパチダイヤの複勝に突っ込む。
③ゲンパチダイヤ、スタートはまずまず。
中団やや後方を淡々と進む。
この日のダートはかなり足抜きの良い状態。
行った行ったの未勝利戦とはいえ、挽回の余地はまだある。
鞍上勝浦は砂被りでじっと機をうかがっている。
直線に入り、先行していた一番人気の中舘の馬が突き放しにかかる。
当方のゲンパチダイヤはまだ馬群の中。
だがそこは府中のながいながい直線である。
前が開いたと見るや、鞍上勝浦のステッキが一閃。
見る見る馬群を割りゲンパチダイヤが上がって行く。
我がゲンパチダイヤ号、必死に追いすがるも先行した一番人気は余裕のゴール。
前の馬を追い詰めるも、首差の三着までであった。

が、まあ馬券は的中している。
複勝であるが故に、発表まで正確なオッズはわからぬが、先ず単勝人気から三倍は堅いであろうというのが当方の予想であった。
果たして。
③ゲンパチダイヤの複勝は240円。
予想よりわずかに安い。
まあ、がちがちの一番人気が勝ったのならばこんなものか。
ここは切り替えて、さっさと換金に走る。
次の買いレースは2Rである。
時間が惜しい。
とりあえず、五千円が一万二千円に増えたのだから、良しとしておこう。

次は第2レースである。
で、ここでちょっとした異変に出くわすこととなる。
当方が購入の予定であった⑭サクラメダリスト号の人気が芳しくないのである。
間違いなく一番人気かそれに準ずるところであろうと考えていたのだが。
蓋を開けてみるとどうにも人気が無い。
発売当初二番人気であったものが、時間がたつごとにどんどん人気が下がっているのである。
ついに単勝千円を超えたところでパドックに目をやると、いささか入れ込んで小足を使っている状態であった。
この時期の未勝利戦ながら初出走の馬でもある。
このあたりが敬遠されている理由か。
とりあえず一安心。
当方の見るところ、この程度は全く問題ではない。
馬体を一目見ただけで、別物のオーラを発しているのである。
砂粒の中に、ダイヤモンドが混じっている。
それほどまでに見栄えのする馬であった。
ここまで未出走で来たのは足下に問題でもあったか、或いは体質が弱かったのか。
女馬ながら500k近い大型馬である。
仕上げるのにも時間が必要だったのだろうという結論に達した。
且つ、馬体の張りや腹袋、胸前、背中、トモ、全体のバランスを見ても、仕上がりには何の疑問も無い。
なればむしろオッズが騰がるのは好都合というもの。
気分は
『愚民どもよ、我がためにもっとオッズを上げるがいい』
といったところであったという。

最終的には四番人気、1170円までオッズは上昇した。
当方がそのとき確認できたのは1100円を超えたというところまでである。
当初の予定通り、全額単勝に突っ込むこととする。
一万二千円の十一倍だから十三万二千円である。
当時若造であった自分は、かなりドキドキしたものだ。
この十三万を10Rの複勝に全額突っ込めば、今夜は豪遊できる、と。
もはや飲み屋のお姉ちゃんや風呂屋のお姉ちゃんのことで頭が一杯であった。
若かったなあ、自分。
というわけで、夢への第一歩。
ゲートもすんなり収まって。
東京2R4歳未勝利牝馬限定ダート1600mの発走である。 
さあ、一斉にスタートです。
と、一頭出遅れているのは⑭サクラメダリストか。
えええええええ・・・。 

しかし鞍上蛯名、なかなかに落ち着いている。
軽く気合を付けると中団やや後方の位置につける。
ここまでは1Rとほぼ同じ。
未勝利戦で、なまじっか足抜きが良いだけにペースはなかなか速くなっている。
これならば中で前をうかがうのも面白い。
問題は初出走で泥をかぶって走る気を失わぬかどうかだが。
2コーナーでも蛯名動かず。
中団でじっと前をうかがっている。
馬を見ると嫌がっている様子も無い。
足も上がっておらず、頭も低い。
しっかりと折り合っている。
さて、どうか。

と、3コーナーに差し掛かり、おもむろ蛯名動く。
手綱を絞ると、がっちりハミをかんだ気配がうかがえた。
そこからが圧巻であった。直線に向いて内に入ったメダリスト。
蛯名がステッキを入れるとあっという間に馬群を割って前三頭に襲い掛かる。
と見えたのもつかの間、直線半ばであっさり捕らえてごぼう抜き。
その加速といったらもう。
そしてそのときの自分といったらもう。
「よっしゃ!キター!」
突き放す。
三馬身、四馬身、五馬身・・・。
強い強いぞメダリスト、ゆけ、お姉ちゃんの夢を乗せ。

しかし、好事魔多しとはよく言ったもの。
ここで思わぬ悲劇がこの馬と自分の夢を襲う。
残り五十メートルといったところであったか。
もう数完歩でゴールというときに。
鞍上蛯名が
 ────宙を、舞った────・・・ 。

ぇえええぇえええ!?


骨折、予後不良との事であった。
当方はといえば、茫然自失である。
何が起こったのか理解できないというのはまさにこのことであった。
自分の前に居座っていたおっちゃんが。
「よっしゃ!よっしゃ!」
不謹慎に大騒ぎしている後頭部を、ただ、ガラス玉のような目で眺めつづけていた記憶がある。
しばらくして、我を取り戻した自分は、やるせない気持ちを抱えたまま家路についた。
家に着くなり、そのままフテ寝をした。
購入予定であった10R、⑯リンガスパレードが三着入線、複勝が440円ついたというのを知ったのは、しばらく後になっての話である。

その頃からであろうか?
自分の競馬への情熱が少しづつ醒め始めたのは。
あれほど足繁く通っていたウインズへもほとんど行かなくなり。
知り合いに誘われれば稀におつきあいでエクセルへ入る程度。
最近は十年来の知人の自慢話を聞く程度となっていた次第である。
が、再び予想だけでもはじめてみると、やはり競馬は楽しいものだ。
そんな風に感じている、この頃である。

ちなみに。
サクラメダリストの兄にはサクラナミキオーがいるのは当時の購入条件の一つとして知っていたが。
その後、弟でサクラプレジデントという馬が現れ、一時期競馬シーンを賑わわせていたという。
それを知ったのはつい最近。
件の知人からのお話によってである。
彼女のたった一度だけの、その雄姿を思い出し。
納得する事しきりであった。
やっぱりおまえさんも、強かったんだよなあ。

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民主の長妻議員は年金に続くヒットである。
たいしたもんだ。
もうすでに党の顔である。

言わずと知れた居酒屋タクシー問題である。
タクシーの運ちゃんが財務官僚を乗せる。
その際、タクシー内で、お茶、菓子、ビール”等”を振舞っていたというものである。
残業時に役所などではタクシーチケットが支給される。
時間が時間だけに割増も入り、運ちゃんにとっては良い実入りとなる。
支払いは国、取りっぱぐれも無し。
それゆえのサービスであるという。
今回の事案をごくぶっちゃけて説明するとこのようになる。

別段、それ自体がどうという事はない。
官僚だって人間である。
仕事で疲れているところに、タクシーの運ちゃんが
「お疲れ様です」
と、お茶なりビールなりを差し出してくれれば、それはうれしいであろう。
「次も頼むよ」
という風になるのは当然である。
それはそれで良いサービスだと思うのは、自分だけなのだろうか。

その昔「おひつタクシー」なるものの存在を聞いたことがある。
タクシーに電気ジャーやおひつが常備されているというのである。
乗り込むと
「一杯、いかがですか?」
と茶碗にご飯をよそってくれる。
実にシュールである。
妙に人間くさくて、自分は好きであるが。
そのほかに、現在でも飴やガムなどを常備している気の利いたタクシーもある。

それだけならば特に問題は無かったであろう。
問題は”等”の部分である。

閉じた空間でこのような状態が続くと、自ずと事態はエスカレートする。
特に、現在はタクシー業界も規制緩和の影響で過当競争の時代に突入している。
実入りがよいと聞けば、多少危ない橋をわたる同業者も出てくる。
しかも相手は他人の金をネコババする事のプロフェッショナルであるところの官僚。
中でも最も厄介な部類に入るであろうプライドと悪知恵の塊、財務官僚どもである。
茶や菓子がビールに変わり、金券、キックバック、そして付け届けに変わるのに、そうは時間がかからなかったのも容易に想像できる。

とはいえ、実際にそこまで到達してしまったのはごく一部であるのだろうが。
調査の結果では十年間で二百万円ほどのキックバックを受け取っていた阿呆もいたようである。
残業もまた、たのしからずやと言ったところか。
タクシーチケットが税金であるという認識の薄さも確かに問題であろうが。
そんなものまで懐に入れようとする役人どものコスさと倫理観の欠如こそ、亡国の問題であるという気がする。

しかし、今回発覚した事は実に意義深い。
一部の破廉恥漢どもがやった事とはいえ、連中にとってはそれを”慣例”とするのはごくあたりまえで、簡単なことであろうから。
役人も議員も。
人が必死に納めた税金を、どうやったら自分たちの利権にできるか。
そればかりを考えているような連中である。
であるが故に、このような問題に的確に光を当ててくれる議員の存在が、実に我々にとっては頼もしい限りなのである。

しかしまあ、本当にあの党も玉石混交である。
副党首なぞの仰々しい肩書きもって、エロゲー規制に必死になったり、人を基地外呼ばわりしたりする前に。
物価、食料、エネルギー、外交、安全保障 etc、etc・・・。
この国事多難の時代において、もっと優先的にやらねばならん事は山ほどあるような気がするのだがなあ。
聞いてる?おばちゃん。

ここ札幌では、肌寒い日が続いている。
いや、むしろ寒い。
最低気温はここ数日四捨五入して零度である。
おかげで当方の花粉症も一段落と言ったところなのだが。
今も、窓の外では冷たい雨がそぼ降っている。

雨が好きだ。
外出時などは面倒に感じる雨も、自宅にいるときには格別である。
眠気を誘う雨音も、湿った空気とアスファルトの臭いも。
コーヒーでも淹れて、ゆっくりと本を読むには最高のひと時。
雨の日のぼんやりと弛緩した雰囲気が大好きである。
しかも春の雨。
弛緩しすぎて寝坊してしまいそうである。

”はるのあめ” ”はるさめ”
言わずと知れた春の季語である。
蕪村の春を詠った句の中では、梅、鶯、桜など、春の代表選手に引けを取らぬほど多くの句が残されている。
語呂が良い、というのももちろんあるだろう。
”春雨や” ”春の雨” いずれも五文字で初句と結句にしっくり来る。
が、寂寥の感すら漂うその空気が、人間の持つセンチメンタリズム、或いは詩心というものを刺激するのかもしれない。
単純に、人間の行動、というものが気象条件に大きく左右された江戸期に於いて、雨の降る日は家で俳句を作るぐらいしか出来ることが無かったのかもしれない。

”春雨や 鬼貫が文字のにじり書” 

等という句もある。 
春雨に降り込められ、為す事無く鬼貫の句をのたのた書き綴り、退屈を紛らわす様が目に浮かぶようである。
また 

”春雨や もの書かぬ身のあはれなる”

春雨を、筆も持たずにボーっと眺める身の何と素晴らしい事か、位の意味合いであろうが、ここでも雨に降り込められている模様が言外によく描写されている。
恐らくは、いずれの論にもいくばくかの真実が含まれているのであろう。

蕪村の句をつらつら眺めていると、春雨に係っていくつか”綱”という名詞が現われる。
羅城門の鬼を退治した渡辺綱のことである。
と思いきや、どうやら渡辺綱に由来した妓女の名前であるらしい。

”つなたちて綱がうはさや 春の雨”
”はるさめや 綱が袂に小でうちん”

一条戻橋の柳風呂の妓女とある。
当時の名物女みたいなものなのかもしれない。
が、蕪村の春雨の句の中で、当方が一番好きなのが

”狸にも綱にも逢はず 春の雨”

こちらは本物(?)の渡辺綱である。
人を化かす狸にも、また渡辺綱の鬼退治のような大事にもぶつかるわけでもなく、ただ、静かに、春の雨は降り続いてゆく。
世はおしなべて事も無し。
近頃、何かと世間は騒がしいが。
平和が一番、である。

自分の記憶の中では。
壱万円札の中の人は2人。
言わずと知れた諭吉先生。
もう一人は聖徳太子である。

さてさて。
諭吉先生は二回連続中の人である。
今現在、もっとも有名なえらい人であろう。
老若男女、ありとあらゆる日本人にとって、拝み倒される存在である。
何せ奴は中の人。
本当は大してえらくなくともいちまんえんというだけで国民全体拝まずにはいられないのである。

海を隔てた某半島では、先生、あまり好かれてはいないらしい。
何でも、征韓論者だったとかどうとか。
そんな話を聞いたことがある。
すいません、正直、あまり知りません。この人のこと。

諭吉先生といえば。

「学問ノススメ」
”天ハ人ノ上二人ヲ作ラズ、人ノ下ニ人ヲ作ラズ云々”
当然、読んだことは、無い。すごいらしいというのは聞いたこともある。
”慶応義塾” 作ったらしい。
”咸臨丸にてアメリカへ” 勝海舟とはあんまり仲良くなかったらしい。
”大阪適塾塾頭” 血を見るのが嫌いだったらしい。ちなみに適塾は医塾である。
当方の知識で知っているのは所詮、この程度である。

司馬遼太郎氏の「花神」が大好きである。
氏の著作の中では「坂の上の雲」と同じくらい好きだ。
その中で、主人公である”村田蔵六”の批判者として、先生が現われる。
畢竟、あまり好きでは、無い。
蔵六とは適塾における先輩後輩の間柄であり、蔵六の後を襲い、適塾の塾頭となる。
頭は切れるが何だか斜に構えていて、長州の軍事顧問としての蔵六を端から見下している。
武力による倒幕などナンセンスだ、と言わんばかり。
誰かがやらなければならぬこと、というのは先生もわかっていたはず。
が、それは自分たちではない、というスタンスだったように思う。
自分たちは頭脳労働者であるという、ある種の自負を持っていたのであろうか?

しかし、考えてみればこの二人、案外共通点も多い。
共に幕末~維新期を通しての最高の頭脳と行動力を持っていたということ。
武士、ひいては身分制度というものが大嫌いであったということ。
一時期、幕臣であったということ。
攘夷、等というものが到底実行不可能であると考え、開国論者であったということ。
医者というくびきより外れているということ。
結局、似通っているのだ。
唯一にして最大の相違点は、武力というものを手段にしたか否か、というところであろう。
そのように考えてみれば、或いは同属嫌悪のようなものなのかもしれない。

話はそれるが。
司馬氏の著作中にはよくこのような対比が現われる。
似通った境遇、思想、能力を持ちながら、なぜか生き方に於いて鮮やかな対比をなすのである。
確かに、先生は維新の刃林弾雨を抜け、天寿を全うしているのに対し、蔵六はそれを抜けたと同時に暗殺されてしまっている。
似たような例には、「竜馬がゆく」における坂本竜馬と岩崎弥太郎があるだろう。
激しく生き、そして散る人間と、生き抜いて大業を成す人間。
どちらがいいとは言わぬが、きっと氏は前者のような一種の狂人が好きだったのだろうなどと愚考する。

話しを戻そう。
この先生、なかなかわかりにくい人間ではある。
榎本武明や勝海舟と交わりながら、公然と批判を展開する。
儒者の父を持ち、自身も素養を身に付けながら、思想としてのそれを強烈に憎み、脱却を図る。
一説には居合の達人であるといわれながら、幾度命を狙われても一度も使ったことが無い。
使ったことが無いのに、何故達人とわかるのか?
逆説的に使わなくとも難を逃れられる程の達人という意味合いなのであろうか?
戦争には反対といいながら、やるからにはと募金を募ったりもする。
日清戦争の勝利を子供の如く喜んだりも、する。
兎に角、一筋縄ではいかないという印象である。
きらいきらいといいつつも、実は結構好きだったり、とか。
認めているからこそ、その生き方が許せぬということもまた、あるだろう。

不幸にして生まれた時代が違うゆえ、先生本人とはお話したことが無い。
故に、司馬氏の書かれたような人格であるのかどうかも不明である、が。
曰く、最高の教育者。
曰く、明治における最強の剣士。
曰く、血を見ることが大嫌い。
実に、実に、不思議な人間像だ。
機会があれば是非一度、お話を伺いたかった、そんな壱万円札の中の人である。

かつて、このようにいわれたことがある。
「男のロマンって、つまりはろくでもないものばっかりだよねえ」
反論できませんでした。ごめんなさい。

さて、ロマンである。
20080505付けの某ブロック紙に、面白い記事が載っていた。
”「透明マント」夢じゃない”
という見出しである。
いや、ちょっと、「透明マント」?
ナニそのロマン。

記事によるとこうである。
頭からすっぽりかぶると姿が消える。
そんな完全な「透明マント」を作ることが理論的には可能であると2~3の大学の研究者グループが共同で証明したとのことである。
ごく簡単に言えば、だ。
隠そうとする物体の反対側からやって来る光や電磁波といったものを、うまい具合に屈折させ観測者に届かせることによって物体の存在を悟らせないようにする装置、であるという。
んー。攻殻機動隊の”光学迷彩”みたいなもん、か?

言葉の意味は良くわからんが、兎に角すごいロマンだ。
幼少のみぎりより色々温めていたあんなことやこんなこと。
こういうと犯罪くさい(実際犯罪)が、それが或いは全てかなってしまうチャンスである。
誰しも一度はそんな妄想を思い描いたことがあるはずだ。
無いとは言わせない。
このマント一つあればあんなところやこんなところにすいすい出入りできちゃうかも知れないのである。
ありがとう、ありがとうド●えもん。
やべ、いまから金ためとかねえと。

と思ったら、記事の最後にこのように書かれていた。
「ただし、隠す物体の約四十倍の大きさが必要だ」と。
・・・んー。なかなか上手いこといかないものである。
小型化、軽量化は日本の十八番である。
ぜひとも頑張っていただきたいものだ。



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