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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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朝から細かな雨がしとしと降る、ここ札幌である。
北海道への物流はどうやら東北地方で滞っているらしく、雑誌やその他食品雑貨など、東北以南から貨物列車やトラックなどで入ってくるものはほぼ全滅の有様である。
ここ北海道、もともと食糧基地だけに、すぐにどうこうということは無い様子だが、それでもコンビニ、スーパーなどの売り場が寂しいのは致し方なきところか。
あちらでは原子炉が爆発したり、三日以内に震度6程度の揺り返しが70%の確立で起こるとか、洒落にならん状況が継続中の様子だ。
それに比べれば売り棚の寂しさなど、かわいいものである。
偽善とは理解しつつも、近所のコンビニで千円ほど募金をしてきた当方である。
残念ながら当方にはこれっくらいのことしか出来ないのだ。
ご勘弁願いたい。
これでコンビニの店主に飲まれていたら嫌だなあ、なんて。
こすっからいことを思わず考える、概して普段募金などしない人間である。


現在、J・P・ホーガンのあまりにも有名な作品
『星を継ぐもの』
を読んでいる。
まあ、万夫不当のSF嫌いな当方であるが、これはいっぺん読んでみたいと常々思っていた作品である。
それがこのたび。創元SF文庫の読者投票で第一位を獲得したらしく、駅横の紀伊国屋書店で平積みされていたのを、読書に飢えた狼状態の当方の視界をよぎった次第だ。
まあ、作者としてもSF界としても、記念碑的な作品であるこの星を継ぐものだ。
果たしてどういった読み味であるのか、そして翻訳版としてはやはり気がかりなのが翻訳の腕そのものはどうなのか、なかなか楽しみであったのだが。
現在300ページ分の50ページ程度進み、場面としてはハント博士の前にチャーリー(死体)が出てきたところであるが、これがまたなかなかに面白いのである。
さすが、SFの金字塔。
あまりオタっぽくもなく、マイ理論も暴走を起しておらず、何とかかんとか理解できる範囲に収まっているように感じられる。
まあ、まだまだこれからであるが、この調子で進んでいったならば、生まれて初めて面白いと思えるSFに出会ったと、胸を張って言えるようになるかもしれないな。


さて、前々回あたりだったか、桜餅の話をした例の和菓子ショップであるが、今週末ちらりとのぞいたらまだ桜餅であった。
当然焼き皮のもありで、早速いくつか購入して職場で振舞ったら、これがおおむね好評であったとか。
やはりたまにはこういったちゃんとした菓子がいいなと。
そんな風に喜ばれたようである。
持っていった当方としても大いに面目を施した格好である。
よかったよかった。
それにしても、どうやらしばらくは桜餅期間である様子だ。
時期的に一時的なものかと思ったが、どうやらそうでもないようである。
ちょくちょく顔を出して、また美味い桜餅にありつくのもいいだろう。
和菓子のある生活である。
いいものだな。
 

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冷えるなぁ。
雪も降るしな、週末は多少暖かかったが、今週入ってからはこんな日が繋がっているのである。
まさしく三寒四温である。
温い、とおもえば寒くなり。
春への通過儀礼だと思うしかないか。
春と言えば、最近はタイトルに『新生活』とついた広告メールが多くなったな。
大学なんかの合格発も本番だし、ここ北海道においては季節の上では足踏みの春も、暦の上では順調に歩度を進めているようである。


昨日は啓蟄、そして先週に何よりも暦の上での春を感じさせるイベント、桃の節句があった訳であるが。
実を言うと当方、あの”桜餅”と言う奴が大好きなのである。
とても。
いいですよね、桜餅。
もっちりつぶつぶの道明寺であんこ包んで、それを包む桜の葉の塩漬けはしょっぱさも香りもベリグーであります。
たまらねえな、ハアハア。
というわけで今年も桃の節句とは全く関係の無いおっさんである当方も、一人家でコンビニで買ってきた桜餅を山積みにして玄米茶をすすりながらひなまつりパーティーと洒落込んだわけである。
立派な桜餅ジャンキーの出来上がりだ。
まあ、第三者がみれば相当に”うわー”な光景ではあるな?
通報されても文句は言えまい。


さて、そんな幸せな桃の節句も終了した先週末のこと。
近所の本屋を冷やかした後、ふらりふらりと散策していた暇人な当方である。
そんな折、以前から一度入ってみようと思っていた和菓子屋の前を通りかかった。
そう、以前から気にはなっていたのだが。
なぜに入らなかったかといえば、当方の動線からいささか外れていて忘れていたことが一つ、もう一つはそのお店、なかなかに入りづらいアゥラを醸していたと、その二点が理由として挙げられる。

入りづらい。
これはごく個人的な定義の問題である。
おっさんの癖に案外シャイなところのある草食動物である当方、入りづらいといえばまあ、近頃流行りのOL御用達みたいな、どっから入ったらいいかわからぬようなオサレ喫茶店なんかもう絶対無理だよな?
このあたりが筆頭だろう。
しかしこの問題の和菓子屋、そんな感じでは全く無い。
なんというか、古びている。
歴史を感じさせるとかそういったものではない。
寒々しく、しみったれた戦後昭和演歌な世界と言えばいいだろうか。
なんともやりきれない空気が漂っているわけだ。

気まぐれでそんなお店に首を突っ込んだ当方である。
甘党バンザイ!だな。
店内は当然電気なんかついていません。
薄暗い。そして寒い。
暖房も入っていないようだ。
店内の床はといえばコンクリート打ちっぱなしの三和土みたなっていて、寒々しさがさらに倍である。
そして店内には当然のようにだれもいない。
・・・・本当に営業中なのか、ここ。
ちょっとだけ心配になったとか。
ざっと店内を見回すとなんだか見たことの無い饅頭みたいな菓子や個包装されて正体のわからない何かがズラリとケースに入って並んでいる。

と、「いらっしゃいませ」いいながらおばあちゃんが出てきた。
軽く「どうも」と会釈をし、商品を吟味してゆく。
まあ、一見さんである、大福でもあればいくつか買って店のあたりをつけようと見回すが、どうやら大福は置いていない様子。
代わりといってはなんだが、桜餅を見つけた。
をや?桃の節句は過去の話だったような・・・。
まあいいや、ジャンキーの血が騒いだ。
コンビニなんかで扱っているものよりぽってりしており、一回り大きいようだ。
桜の葉の塩漬けも一枚一枚しっかりしており、変にねじけたような感じも無く、いいものを使っているのが伺われる。
「じゃあ、この桜餅を三つ、それとそちらのすあまかな?それを二つ」
と、おばあさんが
「桜餅は焼いたのと普通のがありますが、どちらになさいますか」
とか言う。
妬いたの?
誤変換が頭をよぎる。
やきもちさんか、こいつぅ!
イカレヤロウである、病と言っていいだろう。
とりあえずこっちへ帰ってきて、焼いたの?と首を捻る。
桜餅の焼いたの、聴いた事がない。
と、ケース内の桜餅の隣りにあるなんだか薄い皮みたいなのにあんこを挟んだ形状のものをおばあさんが指差して。
ほーほー、それが”焼いたの”ですか。
「それじゃあ、そっちの”焼いたの”とやらを赤白一つずつ、そして普通のやつを一つ、あとすあま二つで」
これで600円程度の買い物である。
まあ、確かにコンビニなんかに比べるとちょとだけ高いか。
無駄遣い大好き人間の当方にとっては、むしろテンション上がるんだがな?


さて、買った桜餅とすあまを抱えるように帰宅して。
さっそく煎茶を入れて焼いたのとやらにチャレンジしてみた。
おっ、桜の葉のおかげか確かに桜餅ではあるが、さっくりしていてなかなか美味い。
中の餡も一味違う、やや甘味が強くて懐かしい味だ。
普通の桜餅もやはりこの間食ったコンビニのやつよりもすっとおいしいな。
道明寺がよりもっちりして、歯を押し返す感触が実に心地よい。
すあまもこれを食べるとそのあたりのスーパーなんかで売ってる量産モノはちょっと喰えなくなってしまいそうだ。
とまあ、総合的に非常に満足できる味であった。
後日、同僚にこんな店があったよー、と主に”焼いたやつ”について報告すると。
「へー、珍しいね。北海道に焼いたの置いてある店なんかあるんだ」
と返された。
どうやらメジャーな存在らしいが、このあたりではなかなかお目にかかれないらしい。
どうやら彼も心惹かれたようだが、今週まだ桜餅売ってるかな?
売ってたらいくつか買って職場に差し入れるのもいいかな、と。
そんな風に新しくテリトリーに入った店を自慢する算段である。

 

弥生賞は全くもってカスりもしない有様である。
ダメだなあ、本当に。
しかし、あのプレイという馬はたいしたものだ。
あのしぶとさは異常である、それでもまだ1勝馬なんだがな?
案外スローに嵌れば単騎なら逃げ切っちゃうんじゃなかろうか、などという甘い夢を見てしまいそうな勢いだ。
やはり上がり勝負となれば勝てないのは致し方ないところ、行くならきっちり行き切ったほうが結果は残りそうな感じがあるな。
そしてやっぱりやっちったカッチー。
いやいや、君はそういうキャラですよ?
なんだかんだで3着ゲットのデボネアも、よくわからんが怖いところか。
当方の本命ショウナンマイティは4着まで、対抗オールアズワンは馬群に沈んでしまった様子である。
本番まで変わってくるかどうか、巻き返しに期待したい。
それにしてもこのままではまた年間収支が目も当てられない結果になりかねないのさ。
切ないなあ。
というわけで、負け犬ワイド収支も-1280円。
負けっぱなしですな。


先週末、食材や雑貨などを買い込みに、近所の東●ストアへと出向いた当方である。
まあ、男の買い物であるからな、非常に大雑把で、会計で5000円オーバーなどということがザラだったりするわけで、実に困った人であると常々感じている次第だ。
しかも徒歩なのになあ。
体のいい筋トレ状態であると言える。
そんな豪快な買い物の中で最も散財だったのが”豆腐”であった。
豆腐、好きなんだけどな。
実際スーパーなんかで売ってる豆腐って、ろくなものじゃないというのが当方の認識である。
安けりゃいいってものでもあるまいに、一丁60円とかこれ本当に大丈夫なのかと製造元に問い合わせてみたい衝動に駆られる。
いかに豆腐が庶民の食い物であれ、安かろう不味かろうな水っぽい豆腐なぞ喰いたいとも思わない。
もっとまともな豆腐はないのかと、日夜美味い豆腐を求めて試行錯誤の日々である。
そして、東●ストアの売り場の一角で、それを見つけてしまった。
商品名”週末だけの十勝正直村の特別絹豆腐”というものである。
何とも仰々しいことこの上ない。
一丁250gの豆腐のお値段が300円ほどであった。
いいねいいね、こういう買い物はテンション上がるよね。
早速一丁だけ求めて、ホクホク顔で荷物を引きずりながら帰宅である。

さあ、果たしてどれほどのものか。
本当に美味い豆腐は、そもそも薬味や或いは醤油すらいらないものだとの持論の持ち主である。
とりあえず、豆腐の本来の味を見るためにも、なにもつけずに頂くこととする。
正直、それほど期待していたわけでもなかったが。
確かに、一丁300円は高いが、それでも料亭などの特別あつらえのに比べれば安いものだし、十分普段使いできるレベルである。
それが、一口食べて驚いた。
まずガツンとくる大豆の香り、そして口に広がる甘さ。
本当に、薬味など無くてもどんどんいける美味さである。
一丁まるまる、そのままかき込んでしまった。
これはいいもの見っけたな。
なかなか、量産モノの市販品で、このレベルは無いだろうなという塩梅だ。
週末の楽しみがまた一つ増えたといったところである。

話は変わるが、司馬遼太郎先生の作品では、当方は『花神』がいっとう好きである。
主人公は幕末に彗星の如く現れた天才軍師、大村益次郎。
このMas大村、豆腐が大好きなのである。
この小説の中にも、酒引っ掛けながら豆腐をつまむ彼の描写が時折出てきて、その姿を想像すると、なんともいえないしみじみとした気分になるのである。
そんな中で、戊辰戦争で従軍した某士官(確か、山田某だったような気がするが)を自宅に招いてもてなす描写があった。
その士官、苦心惨憺な前線暮らしから帰って、さぞかし珍味佳肴のもてなしがと思いきや、座敷に入ると豆腐が一丁皿に鎮座ましましてござる。
Mas大村「これだけです」と。
ぶち切れたのはこの士官である。
「あんまりといえばあんまりな仕打ちだ、ここまで泥水をすするような前線暮らし、今日は久々の娑婆でさぞや歓待されるだろうと思いきや ト ウ フ ダケデスカ?」
すると今度はMas大村が逆ギレる。
「お前豆腐馬鹿にすんな!?いいですかー?そもそも豆腐とは完全栄養食品でありまして、この豆腐を軽んじるということは云々」
完全に酔っ払いの説教モードである。
Mas、大概変人だが、それだけではなくさぞかし豆腐が大好きだったのであろう姿が偲ばれる。

さて、ここで疑問が浮かぶ。
果たしてこの時代の豆腐は、どのようなものだったのだろうというものである。
技術革新とやらで、うっすい豆乳に凝固剤ぶち込んで無理やり固めた現在のまがいもんな豆腐と、どちらが美味かったのだろうと。
まともににがり打って固めた豆腐なら、作り方がどうあれ少なくとも現在の豆腐よりは遥かに濃厚であったはずだが、どうなんだろう。
飽食の時代と人は言う。
確かに、かの小説の時代に比べ、遥かに豊かな食生活を送っているであろう我々である。
しかし、こと豆腐に関して言えば、むしろその時代のほうが口はおごっていたのではなかろうかと。
日常的にまともと呼べる豆腐が食えた時代である、何ともそこだけは非常にうらやましいと感じる当方は不遜であろうか?
そんな、まともな豆腐を探すだけで骨が折れる、現代人の愚痴である。

 

フリオーソが芝部分で置かれ、ヤベッとか思ったらマチカネニホンバレが突っついていって「いいぞいいぞ」と。
そしてそのまんまトランセンドがゴール板を駆け抜けるわけだ。
え?
トランセンドってそんなに凄いの?
というかやはりフリオーソあたりが置かれたのが痛かったな、前にいけていればフリオーソだけが残ったという結果もあったかもわからんなあ。
・・・それじゃダメじゃん。
まーた外しちゃったよ。
とりあえず負け犬収支は◎△で引っかかり860円に860円足して1000円を引くと+720円となる。
ガミですが何か?
首の皮一枚繋がっていますよ。


有栖川有栖の『女王国の城』がようやっと文庫カットされた。
江神シリーズはいいですよね、読み応えがあって。
本格の手触りがたまらないこの頃である。
じっくりと読み込んで読者への挑戦で奴を返り討ちにしたいところである。
まあ、まだまだ読むものもたくさんあるし、今週末はゆっくり読書で過ごすのもいいだろう。
この間ブック●フで頼んだチャーリー・マフィンシリーズの続き一式もそろそろ届きそうであるし、未読の本ばかりが増えていく感じである。
一週間くらいどっかひなびた温泉宿にでもこもって、全部読破してしまいたい衝動に駆られるな。
夢のようである。
なんもかんもブン投げてみたいなあ。
ああ、宝くじでも当たらないかな・・・。
それにしてもこの女王国の城、まだ読み始めたばかりで上巻の真ん中まで行っていないありさまだが、結構わかんない言葉が多かったりする。
ontai辞書のいいネタになりそうな気配プンプンだ。
今から抜き出してメモっておく事としようか。
ネタ探しに一所懸命な毎日さ。


現在、信長の野望を久しぶりにプレイしている。
選択勢力は筒井順慶、多少厳しいくらいが楽しいですよね?
レッツ洞ヶ峠である。
筒井三老の森、松倉、島のほかにそもそも人がいないのである。
勢力の拡大もままならんよなあ。
どうすんべえ?
それにしても、戦国時代の坊主には魅力的なのが多いよな。
この筒井順慶もそうだし、宮部善祥坊や安国寺恵瓊やこのあたりは意外であるが九州の竜造寺なんかも僧侶の家系であるようである。
板倉勝重や前田玄以なんかもそうだし、数え上げればキリがないだろう。
生臭ここに極まれりである。
そんな中でやはり特別なのはこのお二人だろうか。
黒衣の宰相といえば墨染め衣の坊主を指す言葉であるが、そんなある意味上り詰めてしまった坊主たち。
金地院崇伝と太原雪斎であろう。
かたや鐘で豊臣家を追い込み潰した怪僧、かたや戦国期を通じて屈指の軍師、今川家を極盛に導いたまさしく黒衣の宰相である。
いいよね、なんか裏で暗躍とかしてそうで。
悪けりゃ悪いだけ魅力もあるというものである。
まあ、とりあえず本願寺は除外の方向で。
当時の寺院というのは血統の保存場所という意味合いもあったようで、男の子が何人かいる大名家は必ずといっていいほどほとんど寺に入れたようである。
まあ、あまり残しておくと跡目争いとか凄い事になるんだろうし、たとえ家に残った血筋が戦争で全滅しても、僧籍にいる限り血統は残るしね。
非常に合理的な考えかたである。
そんなこんなで還俗して大名を継いだ坊主も結構多く、それだけに兄弟全滅なんていうのも実際あったんだろうね?
何ともシビアな時代である。
かく言う我らが順慶君も、おとうさんの病死によりたった2歳で家督を継いでおり、その後松永久秀に国を追われたり、或いは取り返したり闘ったり和睦したりしている。
洞ヶ峠はまだまだ先のお話であるな。
頑張れ、順慶君。
 

がはは、全然ダメじゃねーか。
かすりもしねえ、まあ、未勝利1勝の馬で8着なら頑張ったほうかな?
下に何頭かいるしな。
実際のところ、ナカヤマナイトとベルシャザール、どちらに○打とうか迷った当方である。
そんなナカヤマナイトが勝ってしまうあたり、今年もどつかん街道まっしぐらな感じも無きにしも非ず、か。
どちらにしても、ユニバーサルバンクには▲以上は打てなかったからな、ハズレはハズレである。
負け犬ワイド収支もこれで+860円。
赤字転落間近である。


バレンタインデーなんかいらないよね。
いや、まあいいんだけどさ、それはそれで。
本気の女の子が頑張る日、そんなのが暦の中に一日くらいあってもむしろ結構な事だと思うのである。
ただ、なあ。
この歳になるとどうにも義理チョコがめんどくさくてたまらんのである。
ああ、バレンタインデーではなく、義理チョコが要らないのか。
義理でももらえば返さないわけにもいかないし、返すにしてもそれぞれチョコレートの値段は違うわけで、それに見合ったお返しを考えなくてはいけないし、読み違って変に高いの返しちゃって誤解されるのもいやだし、そんなのわざわざ買いに行かないといけないのも面倒だし、つまりはもう全てにおいて面倒で面倒で仕方が無いのである。
日ごろの感謝の気持ちとして、そう言ったものをもらう事は、まあ悪い気分ではないのだがね?
もういい歳こいたおっさんなんだから、チョコでも無いというのに。
まあ、そういったお返し考えたりするのが好きな人とかもいるんだろうけどね。
流石にいかな傍若無人の当方であれ、自分から義理チョコなんか要らない宣言など出来うるはずも無く。
そんなこんなでこの歳まで流されつづけてきたのである。
もらえるだけ有難いと諦めるしかないのかなあ。
なんとも義理堅い女性陣が多い職場である。


右を向いても左を見ても、祐ちゃん祐ちゃんなこの頃である。
どうなのかなあ、実際モノになるんだろうか?
例えば、ローテーションの一角を担ってくれるようになれば日ハムファンとしては有難い限りだが、無理なんじゃねえかなというのが本心である。
先発メンバーが伸び悩んでいるのは本当である。
梨田さんも頭の痛いところではあるまいか。
糸数あたりが貯金作れなくてもいいから、せめて20試合程度任せられるピッチャーになってくれればという思いはあるのだが、毎年裏切られ続けているわけだ。
ダルビッシュいなくなったらどうなるんだろうねえ?
おっかないなあ。
今年あたり、面白い若手が出てきてくれればいいなあ。
そんな風に思っている一ファンである。


新シリーズをはじめようかと思っている。
日曜日の夜、霞外籠逗留記を読んでいて気が付いたことだ。
案外、わからない言葉が多いという事なのである。
そのときわからなかったのは”トマソン地帯”という言葉。
誰だトマソン。
そもそも人名なのか?
そんな、本を読んだり新聞を読んだりして、わからなかった言葉を書き出して調べて、2~3たまったらまとめてアップしようかと思っている。
これまではそう言ったものも何となく流していたような気がする当方である、これを機に言葉を大事にできればとそんな風に考えている。
カテゴリ名はそのものズバリ「ontai辞書」。
カタカナ言葉なども多くなりそうな感じだが、うわこいつこんなのわかんねーのかよ、とか一時の慰みにして頂ければ幸いである。
 



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