『旅の恥は掻き捨て』という言葉をご存知だろうか?
どうやらこの言葉、日本人だけに当てはまる言葉ではないようだ。
先週の休日、時間は16時ごろであったろうか。
近所のラーメン屋に飯を食いに出かけた。
飯というには微妙(誤用)な時間である。
が、これで良いのだ。
その店、結構な繁盛店であり、ジャスト昼であったり或いはもう少し遅い時間であったりすると、店内が芋洗い場の様相を呈するのである。
店自体も小体なつくりであり、11~12席くらいのものだ。
故に、利用する側で工夫せねばならない。
当方の経験から言うと、この時間が最も空いているのである。
ゆっくりラーメンを楽しむには、もってこいの『はず』であった。
店につくと、この時間には珍しく、5席ほどが埋まっていた。
だがまあ、それでも余裕を持って座れるし、ゆっくり楽しめることは間違いない。
顔見知りの店員さんにいつもどおりの注文を伝え、ポケットからおもむろに城山三郎の『落日燃ゆ』を取り出し眺める。
一人はもう食べ始めていたが、他の4人にはまだ行き渡っていないようである。
多少時間がかかると踏んだ事もあるが、この時間が好きだという事もあった。
飯を食いに行くときは大概、文庫を携帯している人間である。
で、しばらくして、そろそろ来るかと言う頃合となった時。
入り口の暖簾を割って、騒々しい一団が店内になだれ込んできた。
その数8人。
自分の知識では恐らく中国語と呼ばれる言語の内の一つであろう程度しかわからぬが。
あちらから来た観光客であろうか。
男女入り乱れ、がなるような大声で騒いでいる。
『落日燃ゆ』は折りしも「蘆溝橋事件」のくだりである。
うわー。
と、自分のラーメンが来た。
これはとっとと食い終わるに限るなあ、と。
ラーメンを手繰り始めたとき、先にきていた自分の隣の三人が、さっと席を立った。
そこへなにやらわめきながら殺到する中国人。
しかも悪い事に、連中でかいカメラを装備している。
ところかまわずフラッシュを焚き始めたからもうまぶしいの何の。
おちおち麺もゆっくり食べられぬ。
気づくとあたりは中国人まみれである。
メニューがわからぬと店員さんを呼び、楽しそうになにやらがなっている隣ではフラッシュフラッシュ。
てゆーか、人に向かってフラッシュたくな。
夕刻近くのまったりしたひと時が。
あっという間に狂乱のひと時へとはや替わりである。
まぶしい光にくらくらしながら何とか食い終わって味などわからぬうちに勘定。
そのときの店員さんの一言。
「どうもすいません、本当にすいません」
難儀だなあ・・・。
おっかしいなー?
ゆっくりラーメンを楽しむはずだったのに。
何が悪かったのかなあ。
後三十分、時間をずらせばよかったのかなあ。
等というつぶやきはさておき。
なんとなく、巷にあふれるネトウヨどもの気持ちが理解ってしまえるような素敵なひと時であった。
事ほど左様に少数の人間の態度一つで他人に与える自分たち(自分の属するコミュニティーと言い換えても良いかもしれない)の印象と言うものは悪化してしまうものである。
特に、海外旅行先での態度となると・・・。
「これだから──人は」
ということに簡単に相成ってしまうのである。
これは彼らだけに言えることではない。
日本人の観光客はとかくマナーが悪いという話を聞いたことがある。
冒頭で話した『旅の恥は掻き捨て』という奴であろうか?
このようなものは文化とは言わぬ。
日本という国家の恥さらしである。
彼らの態度を他山の石としてはならぬ。
そんな風に、心に誓う一日であった。
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