宝塚記念は残念であった。
しかし、怪我ばっかりはなあ。
南半球産ということでこれから楽しみにしていた馬だけに、なおさら残念である。
競馬をやっていれば、馬の怪我で悔しい思いをするというのはよくあることだ。
有名なところでは98年の秋天のサイレンススズカの故障などであろう。
が、当方がもっとも鮮明に記憶している、ある不幸なシーンがある。
いまからちょうど八年ほどまえのこと。
忘れもしない5月20日、東京の第2レース。
旧年齢表示で4歳未勝利戦の出来事である。
当時、自分は転がしというものに嵌っていた。
競馬の醍醐味はなんと言っても転がしである。
少ない資金で大きく稼ぐ。
そのためにはやはり転がしこそ正解であると、現在でもそのように考えている。
もちろん、なかなか上手くはいかない。
どんなに堅く狙っても、まあ三つ転がれば御の字である。
開催前夜に競馬新聞を購入し、がっちり予習を行う。
堅いであろう馬の単勝、或いは人気は無いが面白いと感じる馬の複勝をあらあらとピックアップしてゆく。
そしてそれらを精査し、三レースに目星をつけるのである。
当日は新聞など不要。
お財布にその日のスタート金額だけ放り込み、赤ペンもっていざウインズである。
外れたらその場ですっぱりとあきらめ帰宅する。
財布に余分な金を入れておくとそのあたりは馬券師の性、弾が尽きるまで突っ込んでしまうので大変危険である。
そのような、ある意味健全な馬券生活を送っていた最中の出来事であった。
2000年5月20日、土曜日。
当の東京競馬場は小雨のぱらつく生憎の天気であった。
前夜に予想した購入レースは1R、2R、10Rの三つである。
第1R。
お財布に放り込んであった五千円を、迷わず③ゲンパチダイヤの複勝に突っ込む。
③ゲンパチダイヤ、スタートはまずまず。
中団やや後方を淡々と進む。
この日のダートはかなり足抜きの良い状態。
行った行ったの未勝利戦とはいえ、挽回の余地はまだある。
鞍上勝浦は砂被りでじっと機をうかがっている。
直線に入り、先行していた一番人気の中舘の馬が突き放しにかかる。
当方のゲンパチダイヤはまだ馬群の中。
だがそこは府中のながいながい直線である。
前が開いたと見るや、鞍上勝浦のステッキが一閃。
見る見る馬群を割りゲンパチダイヤが上がって行く。
我がゲンパチダイヤ号、必死に追いすがるも先行した一番人気は余裕のゴール。
前の馬を追い詰めるも、首差の三着までであった。
が、まあ馬券は的中している。
複勝であるが故に、発表まで正確なオッズはわからぬが、先ず単勝人気から三倍は堅いであろうというのが当方の予想であった。
果たして。
③ゲンパチダイヤの複勝は240円。
予想よりわずかに安い。
まあ、がちがちの一番人気が勝ったのならばこんなものか。
ここは切り替えて、さっさと換金に走る。
次の買いレースは2Rである。
時間が惜しい。
とりあえず、五千円が一万二千円に増えたのだから、良しとしておこう。
次は第2レースである。
で、ここでちょっとした異変に出くわすこととなる。
当方が購入の予定であった⑭サクラメダリスト号の人気が芳しくないのである。
間違いなく一番人気かそれに準ずるところであろうと考えていたのだが。
蓋を開けてみるとどうにも人気が無い。
発売当初二番人気であったものが、時間がたつごとにどんどん人気が下がっているのである。
ついに単勝千円を超えたところでパドックに目をやると、いささか入れ込んで小足を使っている状態であった。
この時期の未勝利戦ながら初出走の馬でもある。
このあたりが敬遠されている理由か。
とりあえず一安心。
当方の見るところ、この程度は全く問題ではない。
馬体を一目見ただけで、別物のオーラを発しているのである。
砂粒の中に、ダイヤモンドが混じっている。
それほどまでに見栄えのする馬であった。
ここまで未出走で来たのは足下に問題でもあったか、或いは体質が弱かったのか。
女馬ながら500k近い大型馬である。
仕上げるのにも時間が必要だったのだろうという結論に達した。
且つ、馬体の張りや腹袋、胸前、背中、トモ、全体のバランスを見ても、仕上がりには何の疑問も無い。
なればむしろオッズが騰がるのは好都合というもの。
気分は
『愚民どもよ、我がためにもっとオッズを上げるがいい』
といったところであったという。
最終的には四番人気、1170円までオッズは上昇した。
当方がそのとき確認できたのは1100円を超えたというところまでである。
当初の予定通り、全額単勝に突っ込むこととする。
一万二千円の十一倍だから十三万二千円である。
当時若造であった自分は、かなりドキドキしたものだ。
この十三万を10Rの複勝に全額突っ込めば、今夜は豪遊できる、と。
もはや飲み屋のお姉ちゃんや風呂屋のお姉ちゃんのことで頭が一杯であった。
若かったなあ、自分。
というわけで、夢への第一歩。
ゲートもすんなり収まって。
東京2R4歳未勝利牝馬限定ダート1600mの発走である。
さあ、一斉にスタートです。
と、一頭出遅れているのは⑭サクラメダリストか。
えええええええ・・・。
しかし鞍上蛯名、なかなかに落ち着いている。
軽く気合を付けると中団やや後方の位置につける。
ここまでは1Rとほぼ同じ。
未勝利戦で、なまじっか足抜きが良いだけにペースはなかなか速くなっている。
これならば中で前をうかがうのも面白い。
問題は初出走で泥をかぶって走る気を失わぬかどうかだが。
2コーナーでも蛯名動かず。
中団でじっと前をうかがっている。
馬を見ると嫌がっている様子も無い。
足も上がっておらず、頭も低い。
しっかりと折り合っている。
さて、どうか。
と、3コーナーに差し掛かり、おもむろ蛯名動く。
手綱を絞ると、がっちりハミをかんだ気配がうかがえた。
そこからが圧巻であった。直線に向いて内に入ったメダリスト。
蛯名がステッキを入れるとあっという間に馬群を割って前三頭に襲い掛かる。
と見えたのもつかの間、直線半ばであっさり捕らえてごぼう抜き。
その加速といったらもう。
そしてそのときの自分といったらもう。
「よっしゃ!キター!」
突き放す。
三馬身、四馬身、五馬身・・・。
強い強いぞメダリスト、ゆけ、お姉ちゃんの夢を乗せ。
しかし、好事魔多しとはよく言ったもの。
ここで思わぬ悲劇がこの馬と自分の夢を襲う。
残り五十メートルといったところであったか。
もう数完歩でゴールというときに。
鞍上蛯名が
────宙を、舞った────・・・ 。
ぇえええぇえええ!?
骨折、予後不良との事であった。
当方はといえば、茫然自失である。
何が起こったのか理解できないというのはまさにこのことであった。
自分の前に居座っていたおっちゃんが。
「よっしゃ!よっしゃ!」
不謹慎に大騒ぎしている後頭部を、ただ、ガラス玉のような目で眺めつづけていた記憶がある。
しばらくして、我を取り戻した自分は、やるせない気持ちを抱えたまま家路についた。
家に着くなり、そのままフテ寝をした。
購入予定であった10R、⑯リンガスパレードが三着入線、複勝が440円ついたというのを知ったのは、しばらく後になっての話である。
その頃からであろうか?
自分の競馬への情熱が少しづつ醒め始めたのは。
あれほど足繁く通っていたウインズへもほとんど行かなくなり。
知り合いに誘われれば稀におつきあいでエクセルへ入る程度。
最近は十年来の知人の自慢話を聞く程度となっていた次第である。
が、再び予想だけでもはじめてみると、やはり競馬は楽しいものだ。
そんな風に感じている、この頃である。
ちなみに。
サクラメダリストの兄にはサクラナミキオーがいるのは当時の購入条件の一つとして知っていたが。
その後、弟でサクラプレジデントという馬が現れ、一時期競馬シーンを賑わわせていたという。
それを知ったのはつい最近。
件の知人からのお話によってである。
彼女のたった一度だけの、その雄姿を思い出し。
納得する事しきりであった。
やっぱりおまえさんも、強かったんだよなあ。
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