はっきりしない天気が続く。
晴れたと思ったら途端に曇り、雨が落ちてくる。
男心と秋の空、とはよく言ったもの。
先週末、朝から良く晴れた日。
布団などを干そうと思い立ち、外の鉄柵に布団を引っ掛けて、自分はといえば部屋に入ってゆっくりと京極夏彦などに興じていたのであるが、気づくといつのまにかあたりは薄暗い曇天、というまにポツリポツリと落ちてきたものである。
落ち着いて布団の一つも干せやしねえ。
たまにはスカッと晴れて欲しいものである。
さて、本日の話題。
先日の夕刊に載っていたのだが、道警の元巡査が十五年の懲役を食らいこんだという記事があった。
起した事件は強制猥褻、なんでも愛知県内の公園や駐車場などで女児ら十人に対して猥褻行為に及んだという事である。
2007年~2008年の間、当時4~9歳の女児九人に対して人気の無い場所に連れ込み猥褻行為をし、その様子を女児に撮らせたりしていたという。
2005年には帰宅途中の22歳の女性に対して、背後から押さえつけ、行為を強要したともいう。
まあ、目を覆いたくなるほどのひでえ事件である。
この元巡査、十年ほど前まで網走署勤務であったらしいのだが、そこで女子中学生の後を付回し、自宅に無断で侵入したカドで諭旨免職となったという過去を持つ。
その事件においては住居浸入容疑で起訴猶予処分だったのであるが、まあ、なんというか警察の身内への甘さというのがはっきりとあらわれた処分である。
そのとき毅然として起訴に踏み切っておけば、こんな事件は起こらなかった・・・かどうかはなんともいえないが、当時の対応がお粗末であった事は否定は出来ない。
困ったモンである。
さて、ここまでのことについて、これ以上警察の無能っぷりを槍玉に挙げるつもりは無い。
ここで考えたいのは、近頃奇妙にこのような事件が随分と頻繁に”耳に入ってくる”という事についてである。
近頃ぼつぼつ考える事がある。
ロリコンである事は、果たして悪なのであろうか?
まあ、幸いなことに、当方にはそういった性癖は無い(・・・はず)のではあるが、しかし、このやっかいな性癖を持つ人は、決して少なくは無かろう事想像に難くない。
遡れば、女性の結婚適齢期が初潮を迎えるころ、12~13歳くらいだった事もある、また、文献等当れば少年少女を”そういった”対象に見るというのも当たり前な時代とて存在した。
いや、むしろそんな歴史のほうが遥かに”長い”のである。
つまりは、人間、いやさ男にとって、この性癖はある意味本能に根ざした”当たり前”なのではないのだろうか?
そのように考えるのである。
だからと言って、少女に手を出す事を良しとするわけでは無い。
それ自体、唾棄すべき行為であるとすら考えている。
ただ、そういった性癖が在るということ、そして持ってしまっているということは、それはすでに致し方ないことなのである。
前述の通り、世には多く、この性癖を抱える人が存在するであろう。
そして、そういった性癖を持つ限りなく100%に近い人々は、まっとうな社会生活を送っているに違いないのである。
何とかかんとかその性癖と折り合いをつけながら、だ。
それは、さぞ重い十字架に違いない。
なにせ、押さえつけなければ即犯罪者、である。
それまでまっとうに社会人として、夫として父として生活してきたのが、その一事の露見するだけで乱離骨灰、社会的に抹殺されてしまうのである。
実に切なく、綱渡りであるといわざるを得ない。
ここ十年ほどであろうか?
世の中の”ロリコン”に対する圧力が急激に強まってきたのは。
その昔、ちょっと書店に出れば、ロリコン誌などが当たり前に手に入った時代があった。
主に”プチトマト”などの写真誌である。
ニッチではあるが、そうした性癖というものが確かに”存在する”ということが、消極的にながら”認められていた”時代である。
声高に『おれはロリコンだ』と叫び、自認するわけでもないが、そう言った人間は確かに存在し、性的マイノリティーでありながらもそれらロリコン誌をこっそり買ってきて無聊を慰める事くらいは出来た時代でもある。
翻って現在はどうであろう?
この国に脈々と隠花植物の如くではあるがひっそりと息づいてきた”ロリコン”はことごとく破壊しつくされ
『ロリコンは悪だ、人でなしだ、もはやロリコンに生きる資格などなし、存在そのものを抹消してしまえ、ロリコンは皆精神病患者であるという認定が必要だ』
といった按配である。
かくして、世の中からはロリコン系写真誌などはことごとく駆逐され、ネットからも表立ったところはあらかた消え去り、現在では性欲の対象となる人格すら存在しない”二次元創作物”すらが抹殺されようとしているのである。
ロリコンという十字架持つ人々は、社会によって完全に、逃げ場すら断たれてしまった訳である。
果たして・・・。
それらがことごとく駆逐され消え去った先に、”ロリコン”なる性癖が存在しない、彼らがいうところの輝かしい未来はやってくるのであろうか?
傍から見れば、これはなかなかに壮大な社会的実験であるといえる。
当方の考えとしては・・・まあ、無理かな?
性癖などというものは、ある日、突如として思っても見ないところで自覚してしまう、ある意味熱いパトスの迸りである。
ロリコンに関して、そういった性癖を自覚させずに一生を終らせるためには、つまりは少女期の女性というものを完全に社会から隔離し、実物はもとより写真や映像といった記録すらわれわれ男性が手に出来ぬよう見えぬようにして初めて達成できるもの、そんな風に考えるのだがどうだろうか。
それでも、まあ、世の中には二十歳こえても驚くほど童顔で、線の細い女性も存在するので、完全とはいえないだろうが。
果たして、彼らにそこまでする覚悟があるのかどうか、現状の社会の枠組みでは到底無理であろうことはわかる。
まあ、何にせよ、だれも好き好んでロリコンという十字架を背負うわけではないということだ。
ある日、道行く少女を見て、と自覚してしまう類のものなのである。
男には、多かれ少なかれ、そのような、性癖的な意味での何か尖ったモノがあるのである。
ここであえて主語を『人間』ではなく『男』と限定したのは、当方が男であり、女というものの性癖や考え方が、根本的にわからないからである。
きっと、女性にもそんな、何か尖ったモノ、が存在するに違いない、と愚考するのだがどんなものか・・・。
まあ、それはいい。
尖ったモノである。
卑近なたとえで申し訳ないが、当方の身近な友人について。
彼は極度のパンストフェチである。
彼の部屋の箪笥の中には、一段ぶち抜きであらゆるパンストが詰まっている。
当方が始めてそれを目にした時には、さすがにゲンナリしたのを、鮮明に記憶している。
彼は男である当方から見て、それほど色男というわけではない、が、なぜか非常に良くモテる。
なんでだろうね?
柔和な外見と、それに反して(性的に)極めて肉食なところのギャップが、異性を惹き付ける鍵なのかも知れない。
そして、誘蛾灯のように女性を部屋に引き込み、おもむろに秘密の箪笥の引き戸を開けてその日の気分にマッチした”それ”を、かわいそうな獲物に向けて突き出すのである。
「コレ、穿いて?」、と。
不思議なことに、怒って出てゆく女性はほとんどいないそうである・・・。
ああ、わからねえわからねえ。
何にせよ、そんな尖った性癖が男には一つ二つあるものだ。
極めて草食な当方とて、それが無いわけではない。
というか、エロゲヲタ、という時点で立派な万夫不当の爆弾持ち、尖り具合でいえば磨きぬいた苦無の如き投擲武器も真っ青であること疑う余地も無い。
二次元創作物に対して『少女を想起させる』ゆえに規制を施す、というのはつまり最前出た彼に対して『世の中にはパンストフェチがいてキモいからパンスト規制します』というのと大して変わらないと思うのだがどんなもんか?
いささか脱線したようだ。
兎に角、である。
ロリコンというものが、少女を愛でる、という一つの尖った性癖である事を当方は理解する。
確かに、まだ熟しきらぬ少女と呼べる時期が好きで好きでたまらない、という感情は、男ならばある程度理解できるものなのである。
その上で彼らの多くは、そんな感情を気振りにも感じさせず頑張って生活を送っているのだ。
涙ぐましい努力であるといえる。
文中挙げた”耳に入ってくる”という言葉。
当方はこれをもって『規制の強化がゆえに世のロリコンが暴走を起した、逃げ場をなくした彼らが暴発した』などと短絡な決め付けを行うものでは断じてない。
愚考するに、是はロリコンという性癖そのものが完全に社会悪となってしまったがために認知件数が増加し、また、一件一件が悪であるという見地からよりクローズアップされるようになってしまった結果であろうと思うのだ。
それでも、である。
このまま社会が彼らをがんじがらめにしつづければ、前述したような短絡が芽を出さぬとも限らない、そんな風にも思えてしまう。
他の多くの、決してほめられることの無いであろう性癖と同じように、実際行動を起してしまうのはごく一握りの極めて行動的な(あるいは極めて自制心の乏しい)輩のみなのである。
それを一つの性癖としてみた場合、当方は、せめて彼らが息をつける場所を残してやって欲しい、そのように思えてならない。
人間、十人十色である。
殊に、この尖ったやつばっかりは、自分であれ社会であれ、どうにもならないものなのだ。
PR