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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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金曜の深夜、時間にそぐわないような馬鹿騒ぎが、ネット上で起こっていた。当方も、何気なくつないで驚いた、かの国の体当たり船長が釈放というニュースである。
まあ、初めから恐らくは負けるだろうこと、理解はしていたが、実際にこうまで情けないイモ引き振りを見せられると、流石に暗澹たる気分となる。
巷では現在、民主政権たたきの花盛りだ。
当たり前の事だが、政治の世界に政治力というのは、実に大切なものであるということ、改めて思い知らされた一幕であった。


さて、恐らくこれからここで述べることは、ある程度民主政権の擁護という側面も出るであろう。あらかじめお断りしておく。
今回の民主政権のやりようは、よく言えば正義的、悪く言えば子供っぽい対応であったといえる。
領海侵犯を犯した漁船が海保の巡視船の停船勧告を無視し、あまつさえ巡視船に対して体当たりさえお見舞いし、そんな漁船の船長を逮捕すること、このあたりは正義的というより、当たり前のことである。
まあ、撮影されたという映像は公開されていないし、そして漁船自体が或いは中国側の策略ということも考えられなくは無いが、そのあたりは今回の論旨にあまり関ってこないので無視する事とする。
しかし、そういった当たり前の正義を押し通すことは、実は大変な覚悟がいること、政治的に言えばこれこそが子供っぽい対応であるとされるのであろう。
ここで思いだしたのが、沖縄の普天間基地移転問題である。


当初の公約通り、さて移転という段になって、先ず基地の所有者であるアメリカが反対する。
そして移転先探しでは、全国の自治体が軒並みそっぽを向く。
止めはマスコミ各社による徹底的な政権叩きである。
様々な評論家とかいうアメリカの御用聞き的な輩が登場し、政権の無能をあげつらい、そして基地移転の不可能性を声高に論じ、そしてこれは恐らくメディアが恣意的にそのようにしたものであろうが、沖縄県民の総意であるかのごとく、政権への批判ばかりを集めたインタビューを流し続けた。
この、恐らくは作り出されたであろう世論の狂騒を見て、当方は心底から心が冷えたものである、所謂メディアというものへの絶望がここでさらに加速した形となってしまった。
確かに、政権は決して有能であるとは言いがたかった。
あらかじめの各自治体への地ならしも出来ず、アメリカには初手から撥ね付けられ交渉のテーブルにつくことすらままならず、そして自民政権60年をかけて培われた政治とメディアの馴れ合い体質に膝を屈してしまったのである、これでは腰も据わらぬ無能といわれても致し方ない。


しかし、である。
自民党政権時代には決して触れられる事の無かった聖域である”沖縄に存在しつづける基地”というところに踏み込み、それがいかに不公平で理不尽であるか、少なくとも誰憚ることなく議論できる空気を醸成したのは、これは民主党の正義であったといえよう。
自民党が無視しつづけたものを、表舞台に上げ、その声を汲み取ろうとしたのである。
この件で振り回されたであろう、基地のある沖縄県民も、少なくともこの一事は評価していたのではあるまいか?
そういった多様であろう声をメディアは封殺し、物事の一面だけをクロースアップして世論を醸成し、それに振り回されるこの無残な国民性、これを衆愚といわず何と言うのであろうか?
これが、新たに政権を獲った民主党の正義の、初めての敗北であったといえよう。
この一事だけ見ても、正しい事を正しいと言い続ける事、それを政治の世界で貫き通す事の難しさというのがよくわかる。


思い返せば自民支配の絶頂、小泉政権の頃である。
今回と同じような尖閣諸島問題が持ち上がったことがあった。
当時の自民党の対応は迅速であった。
出入国管理法での逮捕後、一日ちょっとですぐさま釈放してしまっている。
これは国内においてもたいしたニュースにもならず、それほど大きな世論を惹起する事は無かった。
迅速な大人の対応すなわち政治力の勝利である。
そして今回の事件。
海保、検察そして政権は、当たり前の正しい事をしようとしたのであろう、しかし、悪い事に、相手は最も言葉の通じない国家、中国であった。


一党独裁とは脅威である。
西洋的な契約社会の観念に生きる我々にとって、あの国はまさしく無法を形にしたような国家であると言える。
レアメタルの禁輸措置までなら理解できる、しかし、一人逮捕されたから国内の邦人を逮捕するって、どこの三国志の世界だよ。
まんま捕虜交換ではないか、そういった我々にとって解かりやすい無法がまかり通る国、それが中国である。
当方がおそらくは負けるだろうと予感したのも、この中国の国体があったればこそである。
かの国には三権分立など形の上にも存在せずと言わんばかり、ただ自国或いは自分の便宜のためだけに一斉に動き出す不気味さが存在する。
まさに何でもアリ、それをまざまざと見せ付けられる結果となってしまった。


そして今回もまた腰砕け。
野党各党は一斉に釈放を非難する声明を発表した。
しかしまあ、前述のような対応をしてきた自民党までが、政権の弱腰をなじるというのもまた馬鹿馬鹿しい話である。
おそらく、自民政権であったなら、小泉前例の踏襲で事件にすらなっていなかったような気もする。
この国の外交的弱腰を六十年かけて作り上げてきた自民がいまさら何を言うかとしか思えない。
しかし、それに乗っかるだけの現状の民主もまた情けない。
正しいことを正しいといいつづけることは事ほど左様に難しい、しかし、政治のあり方として、あえてそれを言える国家を作り上げてほしいと、切に願うこの頃である。

 

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先月末の話である。
仕事をしながらふと
「・・・タイヤキが喰いてぇ」
そんな風に思った。
何故だろう。
脈絡ないことこのうえない。

そしてその週末、ス●イで軽く映画を見た後、十字街ラ●ィラの地下、●心で軽く寿司なぞつまんだ後、フロアをぐるりと見て回った。
当然、タイヤキ屋を探してである。
そして発見した。
その名もタイヤキ屋『祝●鯛』。
やったね、自分。
良い仕事である。
そこでハタと考えた。
これから当方は一日のオフを余すところなく楽しむため、駅前に繰り出してまず途中の北●銀行にて月末の支払い諸々を済ませ、●丸にて趣味の瀬戸物(食器、主に湯のみなど)ハントをし、ヨ●バシとMKにて月末のエロゲワッチを行い、そして最後に紀●国屋にて新刊を漁り尽くす予定である。

タイヤキ数匹など万夫不当の益荒男である当方にとって何ほどのことは無い、が、流石に本日はお日柄が悪いか。
いかに鯛の為りをしているとは申せ、連中はコナモノ主体の菓子である、湿気を吸いやすく冷め易い。
彼らを持ってエッチラオッチラ移動するにはいかにも向かない、後においしく喰らうのはさぞ難しかろうという見解である。
ここは帰りにもう一度寄って買うのが吉か、そのように即断して薄野を後にした。

さて、その後は予定通りに進み、最後の紀●国屋漁りが終る頃にはもはや大禍刻である。
と、気づけば両手には荷物一杯、給料が出たばかりだったとはいえ、いささかハッスルしすぎた嫌いはある。
その上当方の残りヒットポイントも少ない状況、言えば充実したけだるさが肉体を包んでいる。
「・・・まあ、鯛は来週でいいか」
そんな風に思ってしまったのも致し方なきところであろう。
瀬戸物とエロゲとおおよそ一万円分の新刊をもって十字街まで移動するのは、そのときの当方にとってはまさしく苦行に等しいものだったのである。
そう、”その時”である。
私は、思い出すべきであった。
一期一会と言う言葉を。
出会いは一瞬である、その出会いと言うものを今生最後のものだと思い、必ず大事にしなさいとの、昔のえらい人の教えである。
いいこというね?えらい人。

さて、前の日曜日である。
ちらりと薄野ウインズまで馬券を買いに出た帰りがけ、鯛を購入しにラ●ィラの地下へと足を運ぶ。
西側入り口のエスカレーターを降りてすぐ左に『祝●鯛』はある”はず”であった。

──。
────。
──────。
『み、店がねぇ!』

無いのである、きれいさっぱり。
しばらくは己の記憶違いかと思い、地階をぐるぐる回ってもみた。
やはり・・・無い。
そして始めの地点に戻った当方が見たものは、あったはずのタイヤキ屋、現在はただのヘンテツ無い白い壁となっているところに張ってある、一枚の紙きれであった。

『都合により二月二十八日を以って、祝●鯛は閉店させていただきます。これまでのご愛顧ありがとうございました』

うはあ、三月七日じゃん、今日。
前回見たのが、最後の雄姿であったわけだ。
ありえねえな。
どうすんだ、この燃え盛るタイヤキパトスを。
喰えねえとなったらなんだか無性に喰いたくなってきた!
典型的な駄目な人である。
その後、流れ流れて札幌駅の下にある『富●屋』にて申し訳程度に置かれたタイヤキを発見、とりあえず三匹確保して帰ってきたのだが。
ちがう、これは違います。
こんなのタイヤキじゃありませんよ!?
なんすかこのべとべとした生地。
しかもパックから水垂れてるし。
少なくとも、これは当方の食いたかったタイヤキとは似て非なるものである事疑う余地も無い。
酷い事になったもんである。

あらためて、その場の決断と情報収集の大切さを思い知らされた一日であった。
少なくともタイヤキ屋の場所くらいググっておけば、こんな事にはならなかったし、それ以前にあの時『祝●鯛』にて数匹ゲットし、その場で喰らっておけばこれほどの飢餓感を味わう事は無かったわけである。
たかがタイヤキ、されどタイヤキ。
タイヤキ数匹で人生における大切なことを学べたという事実を以って良しとするか、あるいは否か。
否、断じて否である。
そう、今週末こそ、当方の逆襲が始まるのである。
なんとしても、納得行くタイヤキをゲットするのだ!
なにやらおかしな方向に情熱燃やす、そんな中年のこの頃である。

 

いよいよ十二月、今年も残すところあと一ヶ月弱である。
朝晩の冷え込みから、雪が降ればいつでも根雪となりそうであるが、今年は遅いとの予報どおりの昨今だ。
歩きやすくて結構な事である。
さて、表題について。
そう、我々は、常に狙われているのである。
あの黒い奴らからだ。

先日、街を歩いていたときの事。
路上に張り出した引き込み電線に、一匹のカラスがとまっていた。
別段、そのカラスがこちらを向いて「Nevermore」といったとかそういうことは一切無く、どこにでもあるありふれた風景である。
当方は、カラスが嫌いなわけではない。
彼らとて、この生き馬の目を抜く世の中、ただ必死に生きようとしているだけである。
そんな風に思ってカラスを見て歩いていたら、どこからとも無くもう一羽、同じ引き込み電線の反対側にすっととまった。
「・・・。」
二匹のカラスがめっちゃこっちを気にしている・・・、ような気がする。

これはあれだ、罠に違いない。
何らかの罠ですよ?
しかも、この狭い中通り、カラス達は絶妙なポジショニングで路上の電線に蛮居していらっしゃる。
当方は人間として、まず大柄な部類に入る。
従って被弾径始は決してよろしくない。
まず、両端によれば間違いなくどちらかの上空からの攻撃を被弾するであろう。
その場合の被害は、肉体的のみならず、精神的にもさぞや大きいはずだ。
ゲシュタルト崩壊もかくや、といったところである。
ここは慎重に採るべき道を検討せねばならぬ。

気合い声を上げて連中を追い散らすのがもっとも安全策と呼べるかもしれない。
しかし、時は昼下がり。
住宅街の路上で大声を張り上げてカラスを追い散らすいいおっさんの絵。
どうしてなかなか、震えがくるほどシュールだぜ?
あたりのアパートマンションの窓が次々空いてガン見されるだけならまだしも、最悪通報されたりしたらどうしよう・・・。
この方策は、人間様のプライドにかけて、採ってはいけないものであるとなかば本能的に察知。
石を投げるのも同様に大人気ない上に、誰かに見られたらなかなかに恥ずかしい絵である。
それに、周囲に手ごろな石などないし、まかり間違ってその辺の窓や車に当ってしまったらそれこそ警察沙汰に発展だ。
当事者としてはのっぴきならないこの状況も、周囲から見ると「・・・?」といったところであろうことがわかるだけに、なんだか余計にむかつく。
現代の悲劇、である。

ここはやはり、慎重に距離を測ってカラスたちの真ん中を突っ切るのが良さそうだ。
目測では、なんとかギリギリいけそうである。
速度を落とし、慎重に、慎重に。
大丈夫、いける。
そしてちょうど彼らの真下に差し掛かった瞬間。
当方の両端の路上が
『『ピチャッ!』』
という音を。
うわー・・・やっぱりだよ。
ってゆうか、両方ともかよ、すげえなカラス!
どんだけ狙ってんだよ!
寸分たがわぬタイミングである。
当らぬであろうこと、わかっていても肝が冷えた瞬間である。

頭上を気にするのは、都市に生きる益荒男の必須スキルであるようだ。
幸いにも、当方はいままで被弾したことはないが。
場合によっちゃ、人間が降ってくる事もあるとか無いとか。
もう、どんだけ運わりいんだよ、という話。
幼い頃、父親に連れられて某白鳥の名所といわれるO沼公園に行ったとき、沼のほとりの木の下に佇んだ父親が、まんまと連中にクソまみれにされた事があった。
あの光景を見て以来
「こうはなるまい・・・」
と、半ばトラウマじみた妄執に取り付かれるようになり、ひたすら頭上の黒い影を気にしながらここまで生きてきた次第である。
皆さんにおかれても、頭上には十分に注意してもらいたいものだ。
そう、奴らは常に狙っている。
 

見かけには気を使わない人間だ。
とはいえ、スエットで街に出たりはしないが。
最低限、恥ずかしくない格好を、心がけている。
鏡で自分の顔をみると、まあ、いいおっさんがそこにいる。
はあ、もう来年は2010年か、そりゃあ歳喰うわけだ。
そんな繰言が、と口を突くほど、冴えないおっさんである。
顔が怖いよといわれた事は多々あるが、ヲタクっぽいといわれた事は無い。
いやしかし、素行の卑しさはあるいは表情に出るのかも知れぬ。
なにせこちとら、万夫不当のエロゲオタだ。
ならば周囲の人間は、当方のことを
「うっわ、こいつヲタくせえ!」
とか、思っているのかもしれない。
当方も、そのような意図をもって、周囲に己の容貌に対するごく正直な評価を問うたことはないから。
聞かれないなら、口には出さない。
それが社会人の処世術というものだ。

さて、このような話の切り出しから始まった今回。
じつはいささかショックなことがありました。
過日、映画を見に行ったときの事である。
久々の休日らしい休日、命の洗濯をと街に出、そういえば近頃封切りになった『2012』を見てやろうか?
そんな風に思い、ふらり立ち寄った映画館で、それは起こった。
映画など見るのも久しぶりだ。
しかも、いつもは使わない、初めて来た映画館である。
窓口で
「2012、一般、一枚」
そのように声をかける。
中にはオバちゃんが一人。
「・・・はい。一番です」
とりあえず、ペットボトルのお茶を一本買い、言われたとおりに一番の映写室に入る。
中はガラガラだった。
親子連れらしい一組と、あとは一人できているのだろう野郎連中がばらばらと十人ほどいるだろうか?
をや?
確か、封切りからまだ一週間経っていない筈。
なんでこんなに人がいない?
・・・まあ、平日のこんな時間だ、そんなものかもわからんね。
そのように考えたのが運の尽きであったことを、当方、後に思い知らされる事となる。

いいところに席を確保し、座って待つ事しばし。
その間にも、ばらばらと人が入ってくる。
みんな、なにやら曰くありげな野郎どもばかりである。
・・・曰くありげ?
ふと、おかしなことに気が付く。
周囲にいる男連中は、なにやら非常に馴染み深いアゥラを発している。
なんというか、ご意見無用というか、灰汁が強いというか、そういった類の、よく月末などのエロゲー売り場で感じるそれに近しい。
「???」
不審に思ってさりげなく周囲を探ってみると、そんなアゥラを醸す数人がなにやら矢鱈めったらカラフルなパンフを、かぶりつかんばかりに、食い入るように見つめている。
いやいやいや、どう考えても違うだろう?それは。
『2012』のパンフはそんな原色ズッポリの派手派手しい色使いではなかったはずだ。
なにやらおにゃのこらしい単体が、馴染みある雰囲気でデカデカ描かれている様子である。
「????」
いやな予感、開始。
あわててモギッてもらった半券を確認すべく、ポケットから財布を・・・。
と、周囲がふーっと暗くなる。
確認、不能!?

先ずは番宣のような映画宣伝から。
1本目が
『魔法少女リリカルなのはTheMovie』
うわあ・・・。
なんだこれー?
大丈夫なのか?大丈夫なのか?俺。
そして2本目
『Fate/stay night』
ふぇいとキター!こんなところでフェイトキター!
いやいやいやいや!
絶対おかしいだろ、これ、絶対おかしいから!
ってゆうか、一体これから始まるのは な ん の え い が で す か ?
派手な画面エフェクトであたりが一瞬パッと明るくなる。
そのときに、手の中にある半券に書かれた文字が、浮かび上がった。
『劇場版 マクロスF』
いwwwwwやwwwww!
 
その頃には、すっかりやる気をなくして死んだ魚のような目の男が、静かに、唯静かに画面を見つめていたという・・・。
もう、抗議する気も起きなかったとか。
・・・しかしまあ、なんというか。
まさか命の洗濯に訪れたはずの映画館で、こんなにへこまされる事になるとは思いもしなかった己がいる。
はたしてこれは、どういった現象なのであろうか?
きっと受け付けのオバちゃんには
「こいつ絶対ヲタだから!オタならマクロスFしかないから!」
とか思われたのだろうか・・・。
だったらショックだなあ。
まあ、おっかなくて聞けないんだけどね?
というか、産まれて初めてアニメ映画を劇場で見たかもしれない。
そのとき、私の体に得体の知れない電流が・・・とかいうことは全くなく、唯ひたすらに辛い2時間(長っ!)であった。
自分がアニヲタになれないとわかっただけでも、収穫といえようか。
兎に角、チケットはしっかり確認しようね、という教訓である。

その後はおとなしく家路をたどりながら、自分が果たして見たい映画も間違えられるほどヲタに見えるのか、とか、何ゆえ前振りの映画宣伝はエロゲ起源のアニメばかりだったのか、とか、様々な思考が千々に乱れ、いささか精神が旅立ち気味であった。
さて、問題は、リベンジするべきかどうか、だが。
おとなしくDVDでも買ったほうが、いいのかも知れん。
精神の安定のためにとか、いろいろな意味で・・・。
 

守株。
中学あたりの漢文の教材であったろうか?
読み方は< クヒゼ ヲ マモル >という。
韓非子の中の有名な一節である。
兔走リテ株ニ当リ頚ヲ折リテ死スというやつだ。

正確には、こういった話である。

宋の国に田を耕す人があった。
ある日、たまたま切り株にぶつかって死んだ兔を手に入れた。
農夫は「こいつはいいや」とばかりに鍬を投げ捨て、仕事もせずに株を見守り続けた。
しかし、再び兔を手に入れることは出来ず、その農夫は国中の笑いものになったという。

楽をして稼がんとする事の愚かしさを笑う社会風刺のようにも見えるが、実は真意は別のところにある。
韓非がこのお話で語りたかったのは、政治の無能についてである。
現在、国家を治めるものが、昔の偉大な王の行った政治を模倣してもうまくいくはずが無い、先例にばかり倣って民を治めようとするのは皆この守株の類である。
こういった政治風刺なのである。
昔の人は、上手い事いうね?

さて、先日なかなかにショッキングな事件が起こった。
6月29日、札幌市厚別区の駐車場で、会社員Tさんが刺殺された事件である。
その数日後、容疑者が出頭してきたのだが、その証言から事件の真相が判明していくうち、あまりのロクデナサに開いた口がふさがらない内容なのである。
現在判明している事件の概要と殺害の動機は以下の通り。

概要──

2009年6月29日。
厚別区の駐車場において会社員Tさんが刺殺された。
同日同時刻の駐車場において、Tさんではない別の男が怒鳴り声を上げていたという証言があり、その場から逃げ去るRV車が目撃されている。
また同時に、自動車の接触事故がらみでTさんが相手男性とトラブルになっていたという証言もあり、警察ではトラブル相手と同一人物と見て男の行方を追っていた。
翌日、市内で問題のRV車は発見されたが、持ち主は見つからず、数日後、職業不詳影山克也容疑者(43)が警察に出頭。
その後の調べで容疑を認めているという。

発端となった自動車事故について──

2007年12月。
Tさんが駐車場において車を後退させた際、後ろに止まっていた影山のRV車と接触事故を起した。
事故の内容は影山のRV車のバンパーに車の塗料がわずかに付着する程度だったという。
その場で札幌東署に事故を連絡、その時点ではなんでもない良くある事故で済むはずであった。
ところがその後突如として影山が首や腰などの痛みを訴え始める。
お互いの保険会社同士が事故についての折衝を進める中、松葉杖をついた影山がTさんの会社に押しかけたことも数度。
「Tはいるか、いったいどうしてくれるんだ」
「事故で殺す気か」
などなどTさん本人やTさんの上司に当り散らし、補償を求めたという。
当然、Tさんはそんな要求に応じるわけも無く、保険会社の弁護士を窓口に対応をしていたのだが、シビレを切らした影山は2008年6月、治療費と経営していたスナックの休業補償など計280万円の支払いを求め札幌地裁に提訴した。
しかし今年1月の判決では、車の修理費用約3万円の支払いを命じるにとどまった。
その後、三度影山はTさんと接触、金を要求したが当然拒否、トラブルになって今度の事件に至った。
「判決に納得いかなかった」
影山はそのように証言しているという。

酷い話である。
あまりに不幸なTさんの冥福を祈りたい。
納得いかねえのはこっちだっつーの。
逆ギレじゃねえか、チンピラは手におえねえな。
ちなみにこの影山克也、別の交通事故や車両盗難の被害者として昨年2月から、少なくとも650万円の賠償金を手にしていたという。

今回のこの話を報道で知るに至り、守株の故事を思い出した次第である。
恐らく、この影山も、始めはただの被害者であったに過ぎないのだろう。
ただ、チンピラ特有のずうずうしさと押しの強さによって金を手にしてしまったのがいけなかった。
事故は金になる──。
その認識が、この影山にひたすら株を守らせることになったのだろう。
しかし、故事の通りにならなかったのは車社会の恐ろしさか、それとも切り株に兔を誘導する技術に長けていたからなのか。

不幸にもTさんは、折衝に関しては弁護士任せで、警察を介入させる事はなかったという。
確かに連中にかき回されるのはご免蒙りたいのはわかるが、こういったケースには警察を使うのが一番確実な近道である。
当方だけでなく、読者諸兄にも気をつけて頂きたい。
量刑の厳罰化が問題視されている昨今ではあるが、このような鬼畜には是非とも厳罰を持って臨んで頂きたいものである。
 



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