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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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以前、何かの機会に
『女性作家の描く小説全般が苦手』
ということを書いた気がする。
その思いは今でも変わっていないが、なぜそうなのか、今回はそれについてより内省を深めてみようと思う。

今回、槍玉に挙げるのは浅野里沙子氏の
『六道捌きの龍 闇の仕置人無頼控』
なる、なんともものものしいタイトルの長編続き物時代小説である。
槍玉、といったが、正直この小説は非常に面白い。
女性作家が苦手な当方も、かぶりつきで読み切ってしまった逸品である。
内容はタイトルの通り、もう”闇の仕置人”というサブタイで理解できるとおりの、所謂トラディショナルな仕掛け人系時代小説である。
さぞや様式美の極、かと思いきや、どうしてなかなか。
主人公板前佐吉の内面描写、状況描写、人物の絡み、情景描写、殺陣描写と、いずれもバランスが良く、それらが女性作家特有の細やかで流麗な筆致でつむがれていく様は思わずうなってしまいそうなほど見事である。
新人作家さん、ということで、表現などやや気張りすぎなところも見受けられるが、それでもこれだけ描ければ立派なものだと愚考する。

さて、苦手のはずの女性作家、それが殊のほか楽しめたのはどうしてだろうか?
ここに至って、この長編の全編に至って、ほぼ主人公佐吉の視点で描かれている事が引っかかった。
これまでは、女性作家といえば
『ねっとりしている』
『くどくどしい』
『男性心理描写が下手』
等など、およそ抽象的なことこの上ない理由での毛嫌いであった。
そこを一歩踏み込んで考える機会が与えられたのである、これは今後の読書人生の事も考えて、しっかり考察せねばなるまい。
そう、主人公佐吉(♂)視点である。
内面描写に関しても必然、ほぼ佐吉のみとなる。
この作者が、取り立てて男性心理の描写に長じているわけではない、むしろ、そう言った意味ではまだまだ力不足、というかこれは性差的なものが大きく、女性には巧まざる描写、というのが不可能なのではなかろうかと愚考する。

なぜか。
それは、女性には男性心理など必ずわからないものだからだ。
およそほぼ共通した人間心理、というものは確かに存在する。
女性、男性問わずの共通した人間としての心理。
そういったものは、人間への観察と洞察、そして自分への深い内省を行う事で、おおよそ大掴みに出来るものである。
しかし、それが異性特有のモノとなると話は違ってくる。
自分の中をどれほど深く内省しても、決して見つからないものだからだ。
これに関しては逆もまた真、である。
女性心理、おんなごころというものは、我々男性には決して理解できない深い靄の向こうがわにある。
良く云う
『女心のわかる男、男心のわかる女』
というのは、あれは嘘。
そんなものサトリノバケモノでもないかぎり、いや、もしそういったものが存在したとしても、意識の表層からの行動原理が読めるだけで、決して心理の深いところは理解できないであろう。
あれがしたい、これをして欲しい。
そう言ったものがわかっても、それがどこから来てどういった理由で来るのか、それは決してわからないのである。
それがわかるように見える異性諸氏それぞれというのは、つまりは膨大な量のケーススタディの中から、その時々に最も合致するパターンを引き出すことに長けた、つまりは極めて勤勉で記憶力の良い人間ということなのである。
それはそれで、人間として非常な美点であると考える。

さて、ここで話を戻す。
今回のこの
『六道捌きの龍』
に関しては、女性作家に珍しく、ほぼ、男性である佐吉の描写に終始している。
完全な主人公視点というわけでもなく、おおよそどのような場面においても神=筆者の三人称であり、主人公視点に見せても、主人公を通した筆者視点となって語っている。
主人公以外の心理描写はほぼ皆無。
つまりは、そこなのである。

おおよそ、これまで当方が読んできた女性作家の方々の作品は、みな当然の如く女性視点からの女性心理を描いてくる作品ばかりであった。
考えれば、それが当方にとってどうしても『きつい』のだ。
結局、女性心理をだらだら描写されても何を言っているのか結局はもやもやと本質もつかめず、その上どこか露悪的な気さえして居たたまれなくなるのである。

男に女性心理はわからない。
前述した言葉である。
しかし、だからこそ我々男性は、その女性のわからない部分にこそあこがれるのではあるまいか?
世の男性作家の作品、当方の好みで言わせてもらえれば池波正太郎や柴田錬三郎、また山本周五郎なども、あくまで容姿から行動に女性の内面を描き出しつつあるところまで踏み込んでフッと引く、そんな描写が非常に巧みでまたなまめかしい。
もちろん、それは大家にしてそれまでの経験より
『描けない』
ということがわかっているということであろうが、描けないし”描かない”というところに女性に対する男性からのあこがれ、つまりはロマンというものを雄弁に語っているようにも見える。

我々が長年連れ添ったパートナーたる女性、妻でも恋人でもかまわないのだが、そう言ったものに日々散々な目に合わされ、またその肉体に飽きが来て、所詮女なんざこんなもの、などいう悟りきったような枯れきったような事をいくらぬかしても、だ。
それでありながら女性というものから離れられない、女性というものに夢を見てしまいあまつさえ不倫などと言うことをしでかしてしまうのは、どうやらこのあこがれ、ロマンあってこそなのだろうと思う。
どれほど深く傷つき、失望し、絶望しても。
一点、どうしても理解できぬところがある。
それこそが女を求めて止まない男のロマンである。

そんなロマンをぶち壊すかのような女性心理の羅列。
どうやら当方が真実苦手なのは、それであるらしい。
今回のことで、どうやら現状ではそのあたりが原因であるということが、ボンヤリながらわかったような気がする。
曖昧なのは、果たしてそれだけか、という尽きせぬ疑団がまだまだありそうな気がするからなのだが・・・。
まあ、今日のところはこのくらいで思考を停止しようと思う。

 

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