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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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今週は近所の本屋で入りたてホヤホヤの堂場舜一『遮断』と、あとノベル版に焼きなおされた京極夏彦『厭な小説』を購入してきた。
厭な小説は後ほど、とりあえず現在ちょこちょこと遮断を読んでいるところである。
抜群に面白いんだけど、あっという間に終わっちゃってなんかもったいないよな、この人の小説は。
ボリュームは十分にあるはずだがな、文庫の厚さを見ても。
文章の軽やかさとっつきやすさというのもあるのだろうが、やはり読ませる力というのがあるのだろうな。
一昨年の暮れだったかな?この人の鳴沢了シリーズに出会って、貪るように読みふけったのは。
幸せだったなあ、いっぱい既刊があって。
まだこんなに・・・とか思っていても、なんだかんだで年末年始の休みで全部読み終わってしまった時のむなしさといったらもうね。
今度はペリーローダンシリーズでも読んでみっか?
終わらなさだけはガチである。面白いかどうかは別として。
SF苦手だしな。遠慮しとこうかな。
兎も角も、出来るだけゆっくり楽しみたいものである。


さて、こないだ発売された浅野里沙子の『闇の仕置人無頼控四 埋み火』と、ようやく文庫カットされた高橋克彦『蘭陽きらら舞』を読んで、改めて時代小説のスバラシさを再確認した感じの当方であった。
この頃は実際ミステリ系ばっかりだったからなあ。
そろそろ、ガツンとくる本格な大長編時代小説を読みたいなあと、そんな禁断症状にも似た飢餓感を覚えてしまったり。
まあ、あれだ。一番いいのは『鬼平犯科帳』シリーズを全部引っ張り出して読み直す事なのだろうがな。
アレ読んだらしばらく鬼平マインドになって日常生活で使い物にならなくなったりするからなあ。
影響を受けやすいゆとり世代の走りである。
矢沢永吉のライブ会場から出てくる人間が全員矢沢んなっとるのと一緒である。な、なんとおそろしい。
と、そんなふうに思いつつ日々過ごしていたら、偶々読んだ新聞に牧秀彦の紹介文が載っていて興味を覚える。
そうか・・・算盤侍か・・・面白そうではあるな。
で、ためしに牧秀彦を一冊近所の古本屋で買ってきました。
その名も『辻風の剣』。
裏書には
「辻番所を預かる留蔵と辻謡曲を生業とする浪人、田部伊織には裏の貌がある。庶民を痛めつける悪党を密かに始末しているのだ・・・云々」
とある。
ああ、よくある仕掛け人系であるな。
剣戟小説も混じっているのだろうか。
で、文庫一冊に三本の中篇が入った時代連作小説である。
早速読み始めると、まあ、面白くない事はないのだが、何と言うか突出した個性も感じられないのだな。
何と言うか、組織立った仕事をしているのではなく、この留蔵さんと伊織さんと、そしてもうひとり若いのの三人で、仲良く悪を懲らしていくさまは、なんだかとっても貧乏臭くて切なくなってくる。
あと、文章もどこかまとまりが悪い。
江戸当時の辻番所のありようであるとか、剣の流派であるとか居合のありようであるとか、そういったハウツー説明文を詰め込んで固めました的な。
ぶっちゃけ娯楽小説としてみると教えたがりが目立ちすぎていただけなかったりする。
どうも素人臭い仕事であるというのが当方の素直な感想だ。
これはハズレ臭いか?
単純に合わなかったということもあるかもわからんが・・・。


とまあ、その程度であればよかったのだが。
この本に納められている連作三本のうちの最後の一本、「仲間なればこそ」と言う奴が実に曲者であった。
つらつら読んでいくと
「憮然と見返す久能に重ねて告げる」
「戸惑う伊織と弥十郎に、憮然と顎をしゃくる」
「憮然と向けてきた伊織の視線を、滝夜叉の佐吉は身じろぎもせずに受け止める」
「留蔵は憮然と一喝した」
「肩を掴んだ手を振り解き、吉松は憮然と向き直る」
とまあ出るわ出るわ、いきなり何を思ったのか憮然と言う言葉のオンパレードである。
しかも全部誤用してるしー!!
多いときでは1ページに二つや三つ出てくるのが困りモノ、もうただただ『憮然』とか言いたいだけなのではという気すらしてくる。
恥ずかしいなあもう。
というか、誤用云々以前にこんな風に言葉をぞんざいに使っている時点で、プロの作家としてどうなんだというお話。

ここを眺めておられる皆さんもご存知であろうが、この憮然と言う言葉は誤用されている事が多いので有名な言葉である。
ちなみに本当の意味は

①呆然と自失する様、がっかりする様。
②あやしみ驚く様。

というものだ。
ま、別段一つ二つ使われていて、その上で誤用している程度であればそう気にはならないのであるが。
こうまで連発されると流石に言葉を扱う上での意識というものを疑いたくなる。
例えば、上に挙げた例であるならば、憤(忿)然などの言葉が適当であるはずだ。
然るに馬鹿の一つ覚えで『憮然、憮然、憮然』である。
酷いものと言わざるを得ない。


言葉というものが、時代と共にその意味も移ろっていくものであるのは理解している。
芸者と言う言葉は、使われ始めたときは一流の武芸者を指す言葉であったという。
それが時代を移すに従い、芸を売って身を立てるもの、つまり現在の芸者さんになったのである。
わかりやすいよね、これなんかは別段構わないと思うのだ。
ただ、憮然と言う言葉に関しては納得が出来かねる理由がある。
そもそもこの憮然の『憮』という漢字であるが、この意味自体が

①心がむなしいさま、失意のさま。
②美しい、みめよいさま。

というものなのである。
つまり、多くに誤解されているように、何かに怒るさまと言う意味など、初めから入り込む余地は存在しないのである。
然るに、この牧ナントカいう輩は、ただ漠然とそう云うものだと思っていたから使うという、およそプロとしてあるまじき思考停止の愚を犯している訳だ。
困ったものであるな。
さて、この本の第一版が出たのが2005年であるとの事だ、果たして彼はここから進境を見せているものかどうか。
いささかの興味は否定出来ないが、もうこうなってしまった以上彼の作品を読む気などさっぱり失せてしまっており。
下調べは大切だなあと、改めて思った出来事であった。
いい時代小説探すのも大変である。

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