幾分か温かくなってきたここ札幌である。
春の足音、と言うにはいささか気が早いが、それでも足元の雪も随分と緩んできているこの頃である。
これから三寒四温を経て、少しづつ短い春に近づいてゆく、そんな季節である。
前回カレーを作ったのは、あれはそう一月ほど前であったろうか?
久しぶりなので加減がわからず、随分と作りすぎてしまって始末に苦労したものだ。
ワイシャツやらトレーナーやら、着る物からふとん、そしてパソコンに至るまで、部屋中カレー臭くなって難渋したものである。
まあ、さすが当方、おいしかったのだが。
その遺産といっていいものかどうか、ジャガイモが余ってしまったのをうかうかと忘れていたのである。
先日、それをふと思い出した。
さて、そんなジャガイモを引っ張り出してみると、案の定というかなんというか、芽が伸び始めている。
まるでモヤシのようだ。
「・・・喰えねえかな、これ」
喰えません。
ジャガイモの芽には毒性があるってほんとなのだろうか?
以前、そんな風に言われた記憶があるが、真偽の程は定かではない。
まあ、とりあえずはシコシコ芽を取ってしまうこととする。
それにしても、結構量があるなあ。
まるまる太ったジャガイモが八つほど。
揚げる、というのもなかなか魅力的な選択肢ではあるが、およそ日常的に台所に入ってめしを作る習慣のない人間である。
つまるところ、油がもったいないということだ。
ならば、ちょうど手近なところに片栗粉もあることだし、芋餅でも作ってやろうかと言う事となった。
作り方は簡単。
まず、ジャガイモをしっかり洗って泥を落とし、皮ごとゆでてやる。
皮をむいてからゆでるのもいいのだが、どうにもそれをするとあのジャガイモ独特の泥臭い風味が消えてしまって好きではない。
芋餅にする分には、やはり風味は必要であると考える。
それに、皮をむいてゆでると、しっかり面取りしないとどうしても煮崩れてしまう.きらいがある。
まあ、ゆであがって熱いうちならば、手でするするとむけるので、是非皮付きをお勧めするものである。
ゆであがって皮をむいたら、大き目のボウルにジャガイモを入れ、木ベラかなにかでざっくりと潰してやる。
ビシソワーズのように裏ごししてやるのもいいのだが、それだといささかお上品過ぎて当方の好みではないし、その上汚れ物も出てめんどくさい。
やはり、ある程度ごろっと芋の食感が残っているくらいがいい。
ざっくりと潰したら、あとは適量片栗粉を入れて、手でこねてやる。
よく、耳たぶくらいというが、それよりやや固めになるくらいがちょうど良かろうか?
すこしずつ片栗粉を加えていって、程よいところで止めてやるのがいいだろう。
それで完成である。
あとは程よい太さに筒状にして、ラップにくるんで冷蔵庫で保管してやればいい。
食べ方としてはごく簡単、筒状にしたいももちを包丁で切ってやり、そのままフライパンで焼いて食うのである。
焦げ目がつく程度になったらフライパンから上げてやり、アツアツのところをバターでも乗っけて食うも良し、砂糖醤油でおやつ感覚で食うも良し、あるいは生地の時点で砂糖、或いは塩で軽く下味をつけてやり、そのまま食うのも捨て難い。
味噌汁の汁の実にしてやるのもいいだろう。
まあ、いずれにせよ、冷蔵庫からちょこちょこ出して喰うには最適であるといえる。
このように無事に芋の始末もついた次第である。
たくさん作ったので、おすそ分けとして知り合いに渡したら、どうやら随分と気に入ってくれたらしい。
たまにはこういうのも悪くないなあ。
機会があったら是非試して頂きたいものである。
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