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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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2008/2/24(sun) am05:00

たばこが切れる。
当方、相当なチェーンスモーカーである。
すぐさま禁断症状が襲ってくるので、止むを得ず近くのセヴンまで買いに行くこととする。
外の出た途端、後悔する。
地吹雪、であった。

札幌の町の中で地吹雪というのも珍しい。
田舎にいた頃ならば、周囲は田んぼか畑か原野であったから、吹き曝しの中、地吹雪が起こることも決して珍しくは無かった。
冬季、年一、二回は地吹雪による集団下校、等というものがあったぐらいだ。
まあ、その頃からでかかった自分は常に先生と一緒に先頭に立たされていたものだが。
とにかく、このような事態はあまり記憶に無い。
新聞などでは、主に交通機関に結構な被害が出たらしい。

で、その地吹雪の中、たばこを買いに出る阿呆が一人。
店の人にもさぞかし物好きに見られたことであろう。
帰り掛け、吹雪にさらされながらふと、南極物語のことを思い出した。
たしか、自分が小学生の時の映画である。

舞台は南極大陸、昭和基地。
第1期越冬隊に付随して、日本より15頭の犬が南極の地を踏んでいた。
本来、第1期越冬隊と共に日本に帰国するはずも、悪天候のためままならず、犬達だけが無人の基地に取り残されることになる。
猛烈な悪天候、食料も無いまま、1頭、また1頭と力尽きていく犬たち。
そして、季節は巡り、再び隊員たちが昭和基地に戻った時。
タロとジロの2頭が生き残り、彼らを出迎えることとなる。
撮影に三年の時間を費やした、日本映画の超大作である。

たしか、こんなところだったかと思う。
この映画を始めて見たときの自分はまだ小学生。
「おお、すげえな」
とか、素直に感動していたはずだ。
実際、両親や兄弟と、南極物語の話で盛り上がったように、記憶している。

始めに見て以来、もう四半世紀ほども時を経ている。
当方の記憶も非常に曖昧となってはいる。
ただ、吹雪に吹かれるまま思い出し感じたのは
”あれはひどい”
ということであった。

この南極物語、基本的には史実を基にして作られたと聞く。
そこがマズいのである。
史実に沿うのは序盤、犬たちが置き去りにされ、終盤、隊員が迎えに来るところであるのだが、それ以外の中盤、犬たちの奮闘は言って見れば完全なるフィクションである。
エンターテイメントとしてはこの場面無しにこの映画はありえないような気がする。
ここが当時、一番面白かったと感じたところでもある。
それはそうだ。
小学生が高倉健や夏目雅子の演技を見て、何か感じられるようなものでもないだろう。
犬はまだか、というカンジである。
だが、そこが一番面白い場面だからこそ、脚本家の脳内で良いように虐殺された13頭の犬たちと、この映画で幼いながらも感動してしまった自分自身に大いなる抵抗を感じてしまうのである。

別段、フィクションが悪いとか、ノンフィクションがいけないとか、そういうことをいっているわけではない。
この映画に関して言えば、ノンフィクションの間にフィクションをはさみこむことによって、話の焦点がぶれてしまっているのが問題なのだ。
果たして、犬の死に様を見せたいのか、人間の葛藤を見せたいのか、という。
今思い起こせば、俳優陣は超豪華メンバー。
高倉健、夏目雅子、渡瀬恒彦、佐藤浩市、長谷川初範、神山繁、山村聰など、はっきり言えば震えが来るほどの面子である。
ぜひ、このメンバーでの純粋な人間ドラマとしての”南極物語”を見てみたかった。
そんな風に感じるのである。
多分、興行的には大コケしてしまうのだろうが。

何かで読んだが、大人が泣ける洋画の第一位が”タイタニック”なのだそうな。
ちなみに第二位が”アルマゲドン”らしい。
まあ、純粋に興行成績がよく、それなりの泣き要素が入っている映画という意味合いなのだろうが。
いささか切ない気がしないでもない。

ちなみに、この地吹雪がきっかけで風邪が悪化したのは、いうまでもないことである。

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ここのところ更新が滞り気味である。
別に、面倒だからというわけでは無い。
当方、風邪真っ最中である。

実は結構な風邪っぴきなのである。
むかしからよく熱を出しては寝込んでいた人間である。
流行り出した、と聞いた途端、ひいてしまう敏感人間でもある。
たいていは
鼻風邪→のど→頭痛→口内炎→熱→gdgd
というフルコンボとなる。
困ったものである。

その昔、自分が中学生だった頃、肺炎を併発して入院したことがある。
熱を出して一週間ほど、39度台が引かなかった。
始めに行った地元の診療所では
「ああ、風邪だね。薬出しておくから。暖かくして休みなさい」
それでも熱は引かず、少し離れた総合病院に行ったら
「ああ、風邪ですね。注射して薬出しますから飲んでください」
全く同じである。

さすがに事ここにいたっては黙っているわけには行かない。
「いや、あんたろくに検査もしないで、ほんとに只の風邪なのか?一応検査してくれよ」
で、尿検査とレントゲン検査を行った結果
「おや、肺炎ですね。血尿も出ているようですし、今日から入院してください」
である。いい笑顔で。
危うく逝ってしまうところであった。
あんのクソ藪医者め、今思い出しても腹が煮える。
世の中の医者なんぞヤブばかりである。

この入院に関してはいくつか面白エピソードもあるが、いささか具合も悪いので機会があったらということにしようと思う。
今週末は家で寝て過ごすことになりそうです。

○条通、○丁目通、など。
ここ札幌では、割合、大きな通りの除雪はしっかりされていると思う。
しかし、これが中通などになると話は違ってくる。
ほぼ、手付かずで放置である。

ある日、職場に向かってとある中通りを歩いていたら、横道から小柄なオネエチャンが駆け寄ってきた。
表情を見るだけで何がおこったのか大体察することが出来る。
この時期の中通り、歩くだけで結構な運動になるほどの悪路である。
ひどい時など、一区画に三台、連続で埋まった車を見かけたことがあった。
「車が埋まってしまって・・・、助けてもらえませんか?」
案の定である。
結構かわいい。しかも上目遣いである。
ここで手を貸さねば漢がすたる、とかおもった。
こんな風に書くと普段は助けないように思われそうだが、そんなことは無い。
困っている人を助けることが趣味の一つと言っていいほど助ける人間であると自負している一応は。
情けは人のためならず、である。

さて、問題の埋まり車。
ライトバンである。
乗員は女性二人のようだ。
埋車ヘルプのプロフェッショナル?であるところの自分の目から見て、なかなかの埋まりっぷりに見える。
先ず、鼻面が側面の雪壁に突っ込んで乗り上げている。
もがいたのだろう。四本のタイヤはほぼ半ばまで埋没している。
幸いなことに、腹はつっかえていないようだ。
これくらいなら鼻面さえ掘り起こせば何とかなりそうである。
ご近所からスコップを借りてきて作業開始。五分ほどで鼻面の先に人が入れる空間を作ることが出来た。
後は後ろタイヤを掘り出せば万全である。ギザ板(あれはなんという名なのか・・・)が有れば尚良しであるが、オネエチャンに聞いて見た所、どうやらそういったツールは積んでいないようだ。冬道なめんなと言いたい。

到着より十分ほどで、おおよその作業は完了した。
さて、後は先ほど掘った空間に体を入れ、前から車を押し出すのみである。
上目遣いのほうに車に乗ってもらい、もう一人の女性と車を押すことにした。

で、いざ押し始めたのだが・・・。
いかにも相方が非力すぎる。
まあ、女性であるから致し方は無いだろうが。
かといって前まで掘ると、今度は腹がつっかえそうではある。
「もう少しパワーが・・・」
とか思っていると、ちょうど反対方向から、若い男性が歩いてくるのが目に入った。
ちょうどいい生け贄サンである。早速、隣で押している女性をぶつけると、ニコニコしながら付いてきた。いい人である。
三人で再チャレンジすると、今度はあっさりと出た。
やはり若い男のパワーは大いなる武器であった。GJ!ヤングマン。

で、自分はと言うと、頑張りがすぎたのか、腰のあたりから破壊音が・・・。
去ってゆく車を笑って見送ったが、あまりの腰痛でしばらくその場から動けなかったと言う。
もちろん仕事にも遅れたさ。
なかなか漢というのも難儀な商売では、ある。

読書、というものは、言ってみれば純粋な趣味の世界である。
小さな文庫を一冊、ポケットに忍ばせておけば、いつでもどこでも開いて読める、そんな趣味だと思う。
だから別段、本を読む人間はえらい、とか、そういうことには繋がらない。
読まない人間は駄目だ、ということにも当然ならない。
「最近のやつらは本もろくに読まん」
そんな風に”読書”という行為を大上段に構えてえらそうにしている自称文化人どもには、正直言って虫唾が走る。
本を読むより楽しいことがあるなら、それで結構。
読まぬ人とて、必要に駆られれば読むのだから。
読書の必要性など、その程度の考え方で十分ではないかと思う。

「日本人は本を読まなくなった」
自分が生きてきた時間と等しいほどの間、たびたび耳にしてきた言葉である。
そう、ずーっと言われ続けている、ほぼ普遍的に。
確かに、中小の出版社の倒産情報など、ここ最近ちらほら耳にする。
本は、売れない時代なのかもしれない。
インターネットや携帯電話などの情報媒体の普及も一因にあるはずだ。
取捨の選択にいささか難あれど、必要な情報を、必要な時に取り出せる、そんな利便性が、紙のメディアを追いやってしまったのかもしれない。
しかし、自分はどうやらこの”紙のメディア”の魔力からは、当分抜け出せそうに無い。
古臭かろうがなんだろうが、新聞にせよ書籍にせよ、どうにもモニター越しでは「読んだ」という気が起きないのである。

わが愛すべき両親などは、その昔、私が本を読んでいると
「またお前は本ばかり読んで」
等と、困ったように言ったものだ。少し、変っているのかも知れない。
好意的に解釈すれば、読書などは所詮読書以上ではなく、書に淫する時間が有るのならば、もっと実践というものを重視しなさい、ぐらいの意味だったのかもしれない。
言われてみれば全くその通りのようにも思う。ごめんなさい。



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