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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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うわー、マイナス二桁とか。
ここまで冷え込むのも久々である。
ちなみに火の気の無い我が家もまるで冷蔵庫。
いや、現在室内の温度計が1℃を指していることから、きっと冷蔵庫を開けると暖かい空気が流れ出るに違いない。
目を閉じたらもう二度と覚まさない悪寒が?
やべっ・・・・・・・・。
パソコンよ、もっと頑張って発熱してくれ!

節分である。
ということは、もう少しで立春か?
春まだ遠き北国の、といったところだ。
今年は通して暖冬であると言っていたが、流石に温暖化の中でも腐っても北海道、たまに冷え込むと半端無いのである。
これは、この調子ならば雪祭りにきてくれた人たちにも、ガチ北海道の冬の”しばれ”という、いい土産を持たせてあげられそうである。
タンノーしてってくださいな。

しかしまあ、それにしてもだ。
夜の街を歩いていると、ギョッとさせられる。
このクソ寒いなか、ミニに生脚にブーツって。
そんな女性達が結構いることに、驚くばかりである。
これからお店ですかあ?ご苦労様です。
まあ、あんな事したら当方なんざ神経痛が出てしまうよ?
体の欲求よりもファッションを、か。
心頭滅却すれば火もまた涼し、少宇宙(コスモ)を燃やすんだ!といったところであるのだろう。
正直、頭の下がる思いである。
まあ、当方なんかは、正直苦手なんだけどね?生脚。
どうにも目のやり場にこまっていけねえなあ。
火事場から焼け出されたようなあの格好は、こちらまで寒くなってしまうよ。
将来丈夫な赤ちゃん産みたければ、もう少しあったかそうな格好をしなさいと云ってやりたいオヤジ思考である。

少しばかり引っかけて、休むとしようか。
こうさむくっちゃうかうか寝付けねえやな。
近所のコンビニで買ってきた恵方巻きでもかじりつつ。
それでは、良い冬の夜を。

 

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コンビニにて、の●ヨーグルト十勝なる商品を見つけた。
全てに勝つ、とか、受験に勝つ、とか、そんなキャッチが商品上に踊っている。
全てに勝つ
『石川智裕』
『中川昭一』
・・・んー、ブラックだなあ。

どうやら衆院選後、第一党となった民主の瓦解が見えてきた様子である。
小沢と言う重石が除かれれば、一挙に政局と民主内は流動化する事となろう、恐らくは分裂である。
選挙にも芯が通らず、gdgdとなる事は火を見るよりも明らかである。
いやはや、困った事態となったものである。
現状見ても、自民の復活も考えにくい状況ではあるのだが。

しかしまあ、日本の国民性というのは、なんとも御しやすいものだ。
とある新聞の読者投稿欄を眺めながら、そのように感じた。
75歳のおじいちゃんが
「小沢、鳩山はいますぐやめるべきだ。国民はみんな怒っている」
などと、激越なアジをぶっているところを読むと、あまりのほほえましさに頭が痛くなってくる。
とりあえず、自分が全国民の代表のように言うのはやめなさいといいたい。
今回の検察の暴走は、明らかに組織防衛の観点から行われていること、想像に難くない。
戦後七十年、自民党が営々と作り上げてきた国家と組織の抵抗、それが全てであるといえるだろう。
あの異様な検察リークの状況、そして事後、元検事サン達が検察擁護を各メディアで一斉にぶち始めた事鑑みても、あまりにおおっぴらな世論誘導としか思えないところである。
そも、各社世論調査などはRDDにて行われているのが現状ではあるが、そもそれに応えるのは昼間家にいるワイドショーばっかりみてる主婦層か、あるいは税金も納めていない老人ばかりであろう。
それを、さも全国民の声のように書き立てるのはいかがなものか、という思いもある。

いずれ、この状況がいつまで続くものか。
国事多難の折りも折り、一刻も早く狂騒の過ぎるのを望む当方である。
とりあえず、速やかに予算を通したのは評価できるかな?
まあ、難問山積ではあるがな。

 

いよいよ本格的な冬の訪れであろうか。
積もるまでとはいかずとも、朝晩は氷点下となり、大きな牡丹雪なども落ちてくるこの頃である。
当方の周辺にはかぜっぴきさんがあふれ返り、いつこちらに飛んでくるかと、戦々恐々とする毎日だ。
ご自愛頂きたいものである。

さて、表題である。
実を言うと当方、このライトノベルというものを読んだ事がない。
いやいや、実はあるかもわからんが、何を持って『ライトノベル』というのか、その定義を知らないというほうが妥当である。
何を持ってLightなのか?
軽かったり薄かったりあるいは明るかったりする読み物がライトノベルと一般的に呼び習わされるシロモノであるのだろうか?
謎は深まるばかりだ。

こういうときには、早速ググって見る。
ネット文化万歳!
というわけで、wikiで調べてみた。
wikiというのもまた激しく胡散臭くはあるのだが、それを念頭につらつら眺めてみればいいだろう。
貼り付けるのもどうかと思うので、興味がある方は調べて頂きたい。

・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。

表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向け小説、中~高生という主なターゲットにおいて読みやすく書かれた娯楽小説、というのがとりあえずの本義のようである。
とはいえ、どうやらラノベの現場も混乱を来たしている模様、どこを切っても完全な定義というものの確立できない、曖昧模糊としたジャンルでもある様子である。
当方がイメージとして持ちつづけている、なにやら胡散臭い、ヲタっぽい、レジに持っていきにくい、人畜無害で毒にも薬にもならない読み物、というのもある一面では正しいのであろう。

しかしまあ、驚く事は引用先のwikiにおいて『源氏物語』『南総里見八犬伝』もラノベと共通する特徴があるとされている事である。
定義すら確立できていないのに、そんな事を言っちゃうあたり、どうにも半島風なにおいがしないでもないなあ。
確かに、馬琴のそれはジュブナイル小説といっても良さそうで、当方も小学生の時に読んだことがあるが、今ではさっぱり覚えていない。
毒にも薬にもならない、水のようなものである。
そして紫式部のそれは、エロ小説である。
エロまで持っていく過程のシチュエーションを楽しむ小説とでも言おうか・・・。
あれ如き全く評価していない当方にとっては『海外でも評価されています』とか『わが国が誇る』とか言われてなんとなく恥ずかしくなってしまうよりはむしろ『ラノベです』とばっさり言い切ってくれるほうが有難し、というところも無いではない。
他にも引用には小野不由実、赤川次郎、夢枕獏、桐野夏生なども挙げられていてビビッたが、言われてみればというような気もする。

作家さんとしては、自分が書いた作品或いは自分自身を『Light』と称されるのは甚だ不本意の様に思えるのだが、それは当方が持つ『ライトノベル』というものへのネガティブなイメージがあるから、であろうか?
ぶっちゃけ何読んでも変わらない赤川、武器を精一杯書きたいだけだった夢枕はまあいいとして、小野不由実は明らかに『十二国記』やデビュー当時のイメージだろうし(少なくとも黒詞の島や屍鬼は”ライト”とは思えない)、桐野夏生も『残虐記』なんかは好んでラノベ読者層が読むものではないだろう。
いずれ、どうやらこの出版不況の時代、売り手がヲタ層に売りつけるための戦略として『ライトノベル』なる浸潤力のありそうなコピーの乱発を始めた、と解釈してもいいだろう。

文芸的な、あまりに文芸的なと芥川も言っていた?が、文芸を通り越してライトノベル的なところまで逝ってしまったのが現状の出版である。
恐らく、ライトノベルなるモノにも、当方などが読んで面白いと感じるものもあるのだろう。
玉石混交は世の習い、敬遠するばかりでもいけないことはわかっているのだが、しかしまあ、手にする事は恐らくないだろうなあ・・・。
避けて通ってもなお読むべきもの、恐らく一生分を通り越してもなお無数に存在するであろうから。

さて、ここまでで、ラノベに関しては結局”よくわからん”というところに落ち着いたが、なんとなくそのもやっとした輪郭だけでもつかめたような気もする。
いつの日か誰かにお勧めのライトノベル作家を聞かれた日には、このように答える事としたい。
鈴木英治である、と。

 

第二回目の歯医者であったが、早速音を上げた男がここに居る。
いや、やっぱ無理。
あれはきついよ実際。
神経をあのとがった何かでグリグリ引っこ抜かれるときのえもいわれぬ激痛といったらもうね?
しかも麻酔無しだし。
へんな汗がとまらない。
そして体がビクンビクンはねる。
「あれあれ、おっかしいな?薬効いてないのかな?」
歯医者は涼しい顔である。
くそう。
再び神経を弱める薬とやらを投入され、次回ということに相成った。
ああ、鬱すぎる。
虫歯のねえ国に逝きたいぜ。
なんにせよ、とっとと終らせてしまいたい。
次回こそは、根性でなんとか。
それであの激痛ともおさらばしたいものである。

あわわわ・・・。
やっちまったよおっかさん。
来ちゃったよ、マヤノライジン。
とはいえ、おもったほどはつかなかった印象である。
馬場が乾いてしまっただけに、案の定差し馬が台頭といったところか。
ちなみに。
馬券的には取りました私。
良馬場発表が出た瞬間、買い足しました。
500円だけだけどね。
ゴメンナサイ。
これで収支は-15730円。
順調に赤字が!?

さて。
感情と理性のお話である。
最近、よく見たり聞いたりする言葉がある。
子供を”怒る”、部下を”怒る”。
この”怒る”という言葉についてだ。

正直、当方はこの怒るという言葉が嫌いである。
ときに本や何らかのテクストなどを読んでいて、或いはそこいらのお母さん連中の話を聞くとも無く聞いていて、この「そのときは子供をがっつり怒ってやったけど」とか出てくると、非常にイライラさせられる。
ただ単純に、言葉の選び間違いなのだろうが、しかし、果たして本当にそれだけなのだろうかという気もする.。

教育、しつけなどに関して、少なくとも”怒る”ことは正しくない。
怒る、というのは所詮浅薄で単純な感情の発露でしかない。
そのような感情を相手にぶつけること、それがだれかを怒るということである。
教育に必要なのは”叱る”ことだ。
あくまで理性的に、禁止事項、やってはいけないことなどに対し、何故それをしてはいけないのか、なぜそうしなければならないのか、そういったことを理解させ、同じ過ちを繰り返させないのが”叱る”ということの本質である。
さて、この叱ると怒るの違い、理解している大人がどれほどいるだろうか。
甚だ不安である。

子供や部下を叱るとき、大人は正確で膨大な知識、見識を要求される。
正しく伝えるための言葉選びというのも重要になってくる。
なかなかに大変である。
本人が叱っているつもりであっても、これら”叱るための資質”こんなライトスタッフがなければ、結局は怒る事と同義となってしまうのである。
上司や親というのも、大変な仕事である。
ただ、叱ることをあきらめてはいけない。
責任ある大人は日々、知識を積み、見識を磨かなければならないのである。

などとえらそうに言う当方ではあるが。
まあ、生来の口下手も手伝って、正直まったく自信がありません。
その上、歳をとってくると、どうにも感情の抑えが利かなくなって困りもの。
いつも、この
「怒るではなく、叱る」
ということを頭にとどめているつもりであるのだが、下の若いもんの仕事などを見て、或いはクレーム処理など尻拭いさせられているとついつい
「なんでこんなことがわかんねえかな」
「つかえねえなこのカスが」
「ちったあ頭使ってかんがえろやこのグズが」
などなど暴言が口からダダモレになってしまったりする、ことも、まあ、しばしば・・・。
まあ、ね。
どうしても、何回いって聞かせてもわかんないキャラってえやつはどこにでもいるもので。
そんなときは”怒って”見せるのもあるいは必要かもしれんなどと考えたりなんかして。
まあ、子供さんなんかを持つ親も大変なんだろうな、と。
言って聞かせてわかんないというのは一応大人の皮かぶってる連中の比でもないだろうしなあ。
どうも言い訳臭いな。
まあ、頑張らんといかんねーというお話です。
いろいろ。
 



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