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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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仕事が。
またもや忙しくなりそうである。
貧乏暇無しとはよく言ったもの、果たして今回は生き延びる事ができるのだろうか?
お休みなしの日々が始まりを告げる。
エロゲーも積みっ放し。
DVDも積みっ放し。
読もうと思って買ってきた本も、大量に積みっ放し。
ああ、渇くなあ。
ナニモカモナゲステテ、ニゲダシチマイテエナア・・・。

そんな渇いた日々のお供。
音楽は、日々の生きる糧である。
とはいえ、当方、知り合いからはよく
「お前の音楽の趣味にはついていけん」
等といわれる。
別段、不思議なものを聞いているつもりは無いのだが。
ただ、どうやら組み合わせが悪いらしい。

一言で言えば”雑食”である。
だが、他人から言わせれば”混沌”であるそうな。
カオスである。
カオスってゆうな。

一番好きなアーティスト。
正確にはそんなものいないのだが。
とはいえ、挙げるとすればやはり北島三郎だろうか?
近頃はさすがに寄る年波には勝てず、声の伸びも悪く聞いていて気の毒になるほどだが。
しかしやはり彼の『石狩川よ』とか『大樹』などを聞いていると、つい知らず涙が流れる。
断言しよう。
北島三郎は日本を代表するボーカリストであると。
アメ公どもにはウタダだのYMO(古い、か)だのではなく、是非是非サブちゃんを聞かせるべきだ。
これが音楽だ、と。

演歌であるならば、大川栄策も好きである。
『さざんかの宿』
いいねえ。
世上、一発屋などと言われるが。
愚者が百人寄り集まっても、たった一人の賢者には勝てないのである。
もう、曇りガラスを手で拭いちゃうよ?

そしてこれを書いている現在BGMとしてかかっているのがガンマ・レイ。
ご存知ジャーマンメタルのど真ん中。
いまはアルバムSomewhere out in spaceが流れつづけている。
ああ、オペラだなあ。
実に壮大である。
どうもこれを聞くとそのあたりのハードロックが大味に聞こえるから困ったものだ。
ちなみに当方、このアルバムの中ではThe winged horseが一番好きである。
とはいえ、ダメな曲など殊このアルバムに関して言えば皆無なのだが。

普段良く聞くものとしてはさだまさしなどもいいなあ。
あの、どっかとんでいっちゃいそうなあたまのてっぺんから出る高音がたまらない。
『無縁坂』『親父の一番長い日』など、まあキャリアも長いので良い曲は枚挙に暇が無いなあ。
ただ、歌詞がいささか考えられすぎていて、ボーっと聞いていたはずなのにいつのまにかのめりこんでしまうのが難点である。
何かしながらは聞けない音楽である。

かまやつひろしも好んで聞く。
『ゴロワーズを吸った事があるかい?』
『ああ我がよき友よ』『根無し草』など、なんともけだるいデカダンスな香りがする名曲が多い。
とかいったら怒られるだろうか?
だが、それがいい。
てきとうにうたっているようでなかなか、あの節回しは真似できないものだと、カラオケなどに行くと思い知らされるものである。
さすがだぜ、ムッシュー。

井上陽水も好きだ。
あの意味不明な詞がたまらない。
『ミスキャスト』『Be-pop jaggler』『なぜか上海』など、むしろマイナーといわれる曲が大好きである。
特にミスキャストなんかを聞くと、毎回特定のタレントの顔が浮かんできて困ったものである。
当方が思い浮かべるのは田原●彦なのだがそれもまた古いなあ・・・。

そしてこれは知らない人も多いだろうが、アル・ディメオラも好んで聞く。
あの異国情緒漂うタンゴでスパニッシュな空気が良い。
『Race with devil on Spanish highway』
『Tango suite』『Little cathedral』『La cathedral』など、初期のとがったエレキの音も良いが、その後のアコースティックな楽曲も当方はたまらなく好きである。
ディメオラといえばとかくスピードばかりが取りざたされるが、とりわけスローでムーディーな楽曲もいいものである。
RTF時代の幻影をどこかで否定ないしは打ち砕く必要があったのだろうし、確かにスーパーギタートリオの『地中海の舞踏』は凄まじいものであるが、それでも・・・。
とか語りだすととまらなくなるのも困ったものである。

というわけで、ざっと好きなアーティストを流して見たが。
ようは気に入ったものを聞くのが一番いいというお話。
時には思いっきりスーザのマーチとか聞くのもいいなあ。
あるいはゆるーくサン=サーンスあたりの交響曲ハ長調なんかもいいかも知れぬ。
そうだ、久しぶりに美空ひばりでも・・・。
などというお話を音楽談義の場でぶつと、途端に変な顔をされるのがもうデフォである。
失敬な話だ。
 

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過日、某知人より、ダンボール箱一箱分のブツが、当家に届く。
なんと。
たまねぎ がはいっていた。
箱いっぱいのたまねぎを手に入れた。

さてさて、その知人がどういった経緯でたまねぎなど送ってきたかは与り知らぬが、野郎の独り者の当家に、そんなにたまねぎばっかり送ってこられても、というのが偽らざる心境である。
基本、料理などしない人間だ。
一応、花婿修行のためにと、一通りの調理器具は存在してはいる、が、ほとんど使わないまま引き戸の奥深く、埃かぶって化石となっているのが現状である。
いかん、いかんぞ。
このままでは立派な逆玉に乗れぬではないか。
とかいう戯言はおくとして。
たまねぎを使った料理、など言うものは考えた事も無い。
消費方法がわからぬのでは、いかで立派なたまねぎ殿とはいえ、道端の石くれにも等しいというものだ。
どうすんべか?と考えるまでも無く、一時保留という事に。
都合の悪い事は先送り、明日できることは今日するな、それが立派なイタリア人というものである。
台所の戸棚にそのまま収納。
そして、たまねぎの存在は、忘却の彼方へと流れていったのであった。

そして一月の時間が経ったとある休日の午後。
ふと、そんな哀れなたまねぎのことを思い出した。
とはいえ、たまねぎさん、保存も利く優れもの。
それに季節は冬である。
まさかなにやら良くわからんムシさんまみれになって腐臭を放っているという事もございますまい。
恐る恐る戸棚を空けてみると・・・。
たまねぎさん、少しばかりバージョンアップしていらしった。
なにやらにょろにょろ伸びているのである。
たまねぎの芽、であろう。
なかなか、ステキ生命力である。

とはいえ、感心ばかりもして居られぬ。
なんとかして、この芽の出たたまねぎ、消費せねばならぬ。
そのように思い立ち、ざっとたまねぎを使った料理を必死に脳内検索してみた。
結果、四件ヒット。
①野菜炒め
そのまんまである。
当然、てけとうにぶった切ってフライパンにレッツゴーで出来上がり、なんとも漢らしいシンプルさである。
とはいえ、野菜炒めというからには、それなりの相方も必要だ。
具体的には、にんじん、ピーマン、もやし、キャベツ、そして何より肉が必要である。
肉は近所のコンビニあたりでベーコンかハムでも調達するとして、相方の野菜たちはどうしようか?
ご近所の八百屋は日曜定休、行きつけのコンビニでは野菜など扱ってはいない。
とはいえ、この吹雪の中、スーパーまで足をのばすのも億劫である。

・・・・・・いやいや、ということは、だ。
畢竟②カレー③肉豆腐も不可能ではないか。
いや、まあ、何とかならん事も無い、が。
②カレー
たまねぎ炒めてコンソメ入れて水入れてそのまま市販のルー投入という荒業はどうか?
いやいやいや、どう考えても痛すぎる。
絶対不味いよね、それなら使わずにたまねぎのまんま捨てたほうがまだしもエコだよね?
③肉豆腐
これならば何とかなりそうだ。
近所のコンビニではたしか豆腐としらたきはあったはず。
問題は、肉、だなあ。
肉豆腐を、ハムで。
肉豆腐を、ベーコンで。
いやいやいや、絶対不味いからこれも。
なんだかヤバげなにおいがプンプンしますよね、実際。
でも、仕上げに彼の伝説の万能調味料、メンミでもぶち込めば、それらしい味になる・・・か?
いや、なるのかなあ。
ところで肉豆腐って、どうやって作るの?
アレ???

さて、このように悪戦苦闘の脳内シミュレーションの後、結局①、②、③、は廃案と相成った。
そして残るは第④案。
その名も オニオンサラダ である。
そのあたりの定食屋なんぞで良く見かけるつけあわせのアレである。
うほっ、これならたまねぎさえあれば万事OK。
あとは埃かぶったまな板と包丁を磨けばすぐにでも取り掛かれるといった塩梅だ、実に簡便である。
と、そこで、その日の夜の食事風景が目に浮かぶ。
ちゃぶ台の上、丼飯と、山盛りのオニオンサラダ。
すげーな、オイ。
オニオンサラダだけで丼飯食らうのは或いは人類史上初めての壮挙ではなかろうか?
というか、いやすぎる。
しかも、たまねぎの芽まで入ったオニオンサラダである。
痛々しいったありゃしない、何の罰ゲームだ、それ。
そういえば、先日、面白南極料理人という西村淳という人の著作を読んだのだが、その中に
「たまねぎをごく薄くスライスして、市販の味噌とあわせれば、たまねぎの辛味の利いた良い肴になる」
という記述があったのを思い出した。
ん、おいしそうではあるが。
酒のつまみには良さそうだが、其れだけで丼飯食らうとなるといかがなものか?
とりあえずはそのあたりは保留としておこう。
たまねぎはまだ山ほど在るし、次の機会ということで。

で、結局は思考の袋小路というものに突入。
なんにせよ、材料がそろわないのがいただけない。
ということは、だ。
帰納法で考えればよいのである。
つまり、何を作るか、ではなく、コンビニにある材料で、何ができるか、を考えればよいのだ。
おお、なんかスゲー、自分、主婦みたいじゃね?
これならば逆玉もそう遠い日ではなかろう。
待ってろよ、未来の金持ちおぜうさん。
自分がすんごいのを喰らわせてやるぜ!
というわけで。
この日の夕飯は漢丼(改)たまねぎバージョンと相成ったわけである。
もう、全然主婦っぽくないよね。

漢丼、というものが、ある。
それは実にシンプル、且つ豪快、その上漢心をくすぐってやまない、あるいは米食文化圏の人間ならばだれしもが一度は通る
”道”、DNAにまで刻み込まれたいわゆるひとつの魂の一杯である。
丼飯に調味料というのが基本である。
丼飯にメイヨネーズ。
丼飯にウスターソース。
丼飯に塩。
丼飯に醤油。
変わったところでは丼飯に一味唐辛子、豆板醤、ニョクマム等々、調味料の組み合わせ次第では無限の宇宙を感じられるまさに食の暴君、タイラントである。
広い意味では花かつおをぶっ掛けて醤油をたらしたものや、あるいは卵かけご飯などもこの漢丼にカテゴライズされるであろう。

今回、当方がお隣のコンビニから買ってきたのは次のとおり。
・サラダ油(健康エコナ)
・卵四個入りパック
・ベーコン一パック
のみである。
まず、あらかじめ米をとぎ、我が家で唯一稼動している炊飯土鍋に入れてうるかしておく。
そしてしばらく放置。
良いころあいとなったらガスコンロで一気に炊き上げる。
やはり、炊飯器ではどうにも米が不味い。
ここだけは譲れぬこだわりである。
炊き上がったら十分ほど放置、その後蓋をおもむろに開け、ざっくりとしゃもじで切ってやる。
そしてさらに三十分ほど蒸らしてめしは出来上がりである。
出来上がりは上々だ。

蒸らしている最中、漢丼の具材づくりに取り掛かる。
まず、本日の主役、芽の出たたまねぎさん×2である。
ざっくりと皮をむき、頭と尻尾を落とす。
芽の部分は、なんかもったいないから刻んでおく事とする。
頭と尻尾を落とされたたまねぎ、こいつを半分に切り、親の仇のようにざくざく繊維に縦方向に切ってゆく。
二つ分のたまねぎを切り終えたらおもむろにフライパンを火にかけ、ある程度熱したら買ってきた健康エコナをごく軽く引く。
その後、ざっくり切ったベーコンとたまねぎの芽とをフライパンに投入、カリカリに炒めたらそこでたまねぎを投入である。
たまねぎがしんなりして、狐色になったらごく軽く塩を振って調理終了、火を落とす。
具材を皿に移したらさっさとフライパンやまな板、包丁など調理器具を洗ってしまうのが良い。
作ってすぐに洗う事によって、男はいつでも闘える状態になるのである。

で、先ほど炊いためしを丼に六分目くらいに盛り付け。
その上にざっと具材を流し込み。
具材の上に箸で軽くくぼみをつけて、卵を一つ、割り落とす。
あとはお好みで醤油をちょっとたらして完成である。
漢丼というにはいささか凝り過ぎたきらいもある。
が、調理は実に簡便、ざっと十分ほどであろうか?

さて、お味のほうは、と。
焦げたたまねぎの香りが実に食欲をそそる。
アツアツのたまねぎはよく甘味が出ており、その中でもカリカリに焼いたベーコンの食感と塩味が良いアクセントとなっている。
卵の黄身を破ってざっくりと混ぜると、黄身がたまねぎをトロリと覆ってえもいわれぬふくよかな味わい。
軽くたらした醤油の香りもよく、かき込む箸がとまらぬ勢い。
気が付くと、丼一杯軽く平らげていて当方もびっくりであった。
うむ、これならば、どこに婿に出しても恥ずかしくあるまい。
即興にしては、十分満足の行く出来栄えである。
世の独りモン諸氏にも、是非お試し頂きたい。

さて、残る問題は、と。
まだまだ丸々一箱、たまねぎが残っているという事と。
部屋の中がたまねぎ臭くなってしまった事である。
・・・たまねぎって、案外におうんだなあ。
そんなことを学習した、一日であった。
さて、どうしよう、このたまねぎ・・・。
 

またまた惜しい。
当たらんものだなあ。
がんばってはいるのだが・・・。
とはいえ、予想としては悪くない、と信じたい。
思った以上に前が速くなってしまったおかげで、総崩れであったというのが敗因か?
結局は上位5頭のうち4頭までが最後方よりの追い込み馬であったというのが実情である。
時計自体はあんまり速くないんだがなあ・・・。
そんな中で⑧アーバンストリートは実に良く切れたという印象。
④ソルジャーズソングは一発あると思ってはいたがやはり力はあるようだ、当方の本命⑨モルトグランデは挫石放牧の影響がややあったかもわからんね?
まあ、負けは負けである。
まさかここまでの追い込み場となるとは予想もしなかった当方の甘さであろう。
ペース読みはしっかりしなきゃいかんねーという良い教訓である。

というわけで、本日の主題。
どういうことか、といえばだ。
現在、当方は天空のユミナを鋭意プレイ中である。
あいかわらず戦闘のもっさり感は強いが、それでも楽しくプレイできる、まずまずの良作といったところなのであるが。
いや、長い長い。
終わりが見えないのである。
で、気分転換として何かと評判のよろしくない祝福のカンパネラをばインストールして、一息つこうと考えたのである。
で、プレイ開始五分で ”?” という事に相成ったわけで。
何のことは無い、ちょっとした言葉の使い方という奴に違和感を覚えたのだ。

ビーム、という言葉である。
日本語で言えば、光線、ということになろうか?
なぜ、作中では、光線ではいけなかったのだろう?
外国のお話だからか?
少なくともベルリッティという姓を見る限り、イタリアっぽい事は否めない。
ほか、チェルシーはイギリス?
ブーランシュはフランス?
兎に角、チャンポンである。
海洋交易都市という設定はヴェネツィアあたりが下敷きなのだろうか。
だからといってビームでは間尺に合わない。
恐らく、なんにも考えずにビームという事にしたのだろうが、どうにもすっきりしないのである。

作詞の世界にこのような言葉がある。
曰く『英語に逃げるな』というものだ。
手軽に英語を使ってはいけない、ということである。
なんとなくかっこいいから、語感がいいから。
それではいけないのだ。
英語を混ぜるからには、それに見合った確固たる意味、使用者の意思が無ければならないのである。
テレビに出ている多くの評論家や役人や若手政治家なんかに聞かせたいことばだ。
正直、やつらは何を言っているのかさっぱりわからん。
そも、人に伝えようとしているのかどうかすら怪しいものだ。
いかがわしい和製英語のようなものを操り
「ふーん、こんなのもわかんないの?」
とか、見下されているようで非常に腹が立つ。

曲がりなりにも言葉を操るプロを自認するならば。
操るべき言葉や文章の隅々に意識の網を張り巡らさなければならないと愚考する。
まあ、所詮エロゲ程度のシロモノといえばそこまでではあるが。しかし、それができるかどうかが一流とそれ以外を分ける線引きとなるような気がするのである。

なにやら大仰な話になってしまったが。
とりあえず初めに戻ると、だ。
このゲームの世界観において。
育ちの良さそうなぽわわんとした外見のおにゃのこがいう科白として────
「・・・・・・またビームとか出ませんわよね?」
「・・・・・・また光線とかでませんわよね?」
はたしてどっちがいいか、という話である。

・・・んー。
当方としては、絶対に後者の方が良いように思うのだが。
というか、地の文が日本語ならば、絶対に後者のほうが正しいと感じるのだが・・・。
どんなものかね?
とにかく、なにやら開始5分にして当方の持つ、細かな事では在るが一端気になったらどうにもならないある意味大変大人気なくみっともないサボテン型レーダー、というものに引っかかってしまったのである。
・・・ちなみに、前文において使ったレーダーという英語にも意味は、ある。
電探、では若い人や軍オタ以外の人にわかりにくかろうと思ったからだ。
まあ、それは良いとして。
開始早々これでは、いかにも前途多難である。
・・・どうなる事やら。
 

おっ。
気が付いたら的中。
が、1500円かー。
おっかしいな。
当初の当方の試算としてはもっとつくはずなんだが。
そも、あのスクリーンヒーローあたりが三番人気とかありえないから。
ああ、まだまだ赤字生活は続くなあ。

さて、表題の”苦手なもの”である。
何を隠そう、当方、女性のスーツ姿が苦手である。
それもパンツスーツ。
世の女性の皆さんは何が悲しゅうてあんな野暮ったいもの着てるんだろうねえ。
スカートならば美しいと感じるのだが・・・。

女性の地位向上と共に、ファッションのボーダーレス化も進んでいる昨今、大概の男性ファッションは女性が着ても違和感無く目に映る。
女性に似合う服はそれこそ星の数ほどあるのである。
総体として、衣服に関する受容性は女性のほうがはるかに広いといえよう。
が、パンツスーツだけは断じて否である。
アレは徹頭徹尾女性の魅力を損ねるものだ。
特にビジネスライクなスーツに関しては最悪である。

まずぱっと見、どうにも中途半端。
女性特有のあの丸みを帯びた曲線。
大概の格好であれば神の造形といってもいいほどに好ましくあるが、スーツを纏った途端、その黄金比のようなバランスが崩壊を来たす。
そも、ビジネススーツなどというものは世の男性諸氏においては甲冑のようのなものであろう。
アメリカ社会のような徹底したパワードレッサーではないにせよ、シャツを着てスーツを纏い、ネクタイを玉と結べば
「良し、やるか」
という引き締まった気分になるものである。
無論、見た目においてもそうなる。
が、気分はどうあれ女性がアレを着ると
「だらん」
と見えるのは果たして自分だけであろうか。
もともと人体の曲線に沿わせる構造のため、女性が着るとシルエットが妙に丸っこくなる。
でありながら肩など妙に角張って、女性本来の美しさを損ねている。
更に裾から尻にかけての曲線。
女性用は半端に裾の短いモード的なものが多いため、尻の曲線が丸見えで、通常なら美しく見えるそれも奇妙に寒々しく、それでいて野暮ったく見える。
そしてパンツは脚。
日本人の体型は総じて短足であるが、女性がアレを着ると余計にその短足が際立って見えてしまう。
しかも、大抵が細いスラックスであるため、女性特有のY脚、内股も目立ち、救いの無い不細工さである。
これを考えると、スカートというのは実に偉大な発明であると気づくことが出来る。

別段、パンツ姿がダメ、といっているわけではない。
デニムだってパンタロンだってレザーだって、きらいというよりは大好きである。
が、それに関してはカジュアルな格好だから良いのであって、飾り気を極力排したビジネススーツの場裏においてはどうやっても女性には似合わないと思うのである。
まあ、当方のような人間がファッションについて語るのもおこがましいが、しかし、生まれてこの方、あの味気ないスーツが似合う女性というものを一度たりとも見たことが無いのもまた事実である。

私は、女性が、大好きである。
であるから、その女性があのような格好をしている事がどうにも許せないのである。
何も無理に男性を真似、女性本来のよさを埋没させる必要などどこにも無い。
仕事上の能力とは別に、女性には女性にしか決して持ち得ない良さや性別上の差異というものがある。
それを大切にして欲しいものだ。
認めず、否定し去る事は実に愚かしい事である。
もう一度云おう。
女性に似合う服は星の数ほどある。
TPOをわきまえた上で、女性としての魅力を引き出す姿をして欲しいものである。

美しい女性が一人増える事で、きっとその分だけ世の中は平和になるに違いないというのが当方の持論である。
 

まあ、そんな大げさなはなしでもないのだが。
当家のマシンがネットに接続できなくなった。
現在、出先での更新中である。

原因究明と問題部位の特定にはやや時間がかかりそうだ。
ハード的な問題であれば、特定部位の交換ないしは全とっかえも視野に入れなければならない。
まあ、なかなかに大変である。
お休みの間、それなりに手を尽くしてみたが駄目であった。
その上、今回のトラブルにおいていささかHD部分もトンでしまった模様でもある。
いずれにせよ、自宅マシンの修復にはまだ若干の時が必要であろう。
無事復帰を待つ間、しばらくは更新を停止せざるを得ない状況である。
おおよそ10日ほどを見込んではいるが。
その間、しばしのお別れである。
 



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