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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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今年の初めのこと。
某ブロック紙において
”島津の若殿、里帰り”
なる見出しが躍っていた。
九州は鹿児島県、薩摩島津の直系の子息が小樽商科大学の院にて学んでいたらしい。
島津といえば思い出すのが、池宮彰一郎氏の「島津奔る」である。

自分はこれを読んで、一発で島津氏のファンになってしまった。
血腥さまで伝わってきそうな戦場の描写。
濃密な人物の描写。
時の権力者たちに対し、智嚢を振り絞り命を削って薩摩一国を保とうと悪戦苦闘する義弘。
兄義久との確執などなど。
実に読み応えのある内容となっている。

その一篇に、ひとつ、文禄、慶長の役に関する面白い見方がある。
太閤、豊臣秀吉が明、朝鮮に対して起こした戦争(文禄の役)は経済的な政策の一環であるというものだ。
流通を含む経済活動という概念は、江戸も末期になって初めて日本に現われたものだというのが通説である。
故に、経済政策、等という考えはこの時代にはありえないという向きもあろう。
が、かつて秀吉が仕えた織田信長の例も存在する。

越前の対浅倉戦は、精強を誇る上杉氏や武田氏を刺激するリスクを犯しても尚遂げねばならない巨大経済圏の確立のための戦争であったとの見方である。
京を中心として山城含む京畿、本願寺の大阪、同盟国浅井の近江、本国である尾張、美濃、同盟国である松平の三河、遠江。
そして今は無き巨椋池と琵琶湖の水運、太平洋側は屈指の商業港である堺をほぼ手中に収め、後は日本海側の越前浅倉の若狭湾を手に入れれば、おそらくどの戦国大名も経済力と輸送力において織田家を出し抜くことは難しくなるであろうと信長が企図したとの考えである。
さて、実際はそこまでの考えがあったのかどうか、であるが。
随分と早い段階から堺や琵琶湖に目をつけていた信長のこと、或いはという気がしないでもない。
そしてその下で彼のやり方を学んできた秀吉である。
少なくとも過去の主との約束のためとか、そういった感傷的な理由よりもよほど真実味のあるような気がする。

具体的にはこういうことである。
信長の事業を実質引き継いだ秀吉の働きにより、少なくとも国内の戦乱は沈静した。
しかし、百年とも、百五十年とも言われる戦国時代の間、国家の経済というものは完全に戦時経済に置き換わってしまっている。
鉄砲や武器、兵器類はどんなに作っても売れなくなり、基幹産業である農業でも、米を作っても戦争が無いのだから当然消費量は大幅に減少する。
その先にあるのは急激なスタグフレーション。
戦争ではない経済的な地獄が現出することになる。
先ずはこの、戦時によって騰がりに騰がった経済を、ハードランディングさせずに沈静させねばならない。
いくら富裕であったとはいえ豊臣一家での経済力では日本全てをカバーすることなど出来はしない。
とはいえ、国内の各大名は戦争それ自体に飽いている。
再び国内で戦争を引き起こせば豊臣家の足元まで危うくなる。
故に、外に目をむけさせる必要があった。
朝鮮、或いは明国と戦争を起こし、戦闘要員を国外に大量に出す。
それによって各大名家の力をそぎ、且つ軍需を一定に保ちつつ。
朝鮮の資力をある程度収奪し国内経済を潤わせ、且つ朝鮮半島を国外市場とすることにより、国内の経済構造を緩やかに平時経済に置き換えようというのが文禄の役における狙いであったというわけである。
なかなか、面白い考えではなかろうか?

実際、徳川家が江戸幕府を開いた時も、各大名家の取り潰しと同時に道路の整備、宿駅の整備、治水などの水害対策など、公共事業とも取れる巨大工事を、各大名家の持ち出しで行わせている。
参勤交代にしてもそう。
政権確定後、国内を隈なく覆った戦時経済の影に対して、八百諸侯の財布を開かせることにより、効率的に各地域を潤わすことの出来る施策であったといえる。
結局、それらの政策は、大名家の力を削ぐ、という方面にしか光は当てられなかったが。
老中、若年寄など、江戸幕府における政治を切り回す立場のものは、結局内向きの視点しかもてないように出来ていたのである。
理由は、必要が無かったから。
彼らは江戸幕府、ひいては自分を含めた徳川家の安泰だけを考えればよい立場である。
言い換えれば彼らは、そこに暮らす人間の生活など、考えなくても良い立場であった。
ひたすらに慣習を守っていれば、かってに徳川以外の諸大名が弱ってゆく。
実に優秀な制度であったといえよう。

斯様に江戸幕府を例に引いたのも、「島津奔る」において、江戸幕府の創始者である徳川家康もまた、秀吉の狙いに気づいていた一人として描かれているからである。
幕府の礎を築いた家康只一人がその制度の真の意味を理解していたということである。
そのほかには物語の主人公である島津義弘や当代随一の利け者、石田三成なども秀吉の狙いに気がついていた人間として描かれている。
なかなかに興味深い。

氏の遺した物語の中では「島津奔る」が一番好きなものである。
池宮彰一郎という人は、作家としてのデビューは随分と遅かった人である。
六十の坂を越えてから書き出し、「四十七人の刺客」で新田次郎文学賞、「島津奔る」で柴田錬三郎賞と、七十前後で文壇における重要な賞を幾つか受賞している。
不幸にして盗作疑惑などが持ち上がり、その後、執筆のペースは上がることが無かったものの、どれをとっても読み応えがあり、寡作のまま亡くなられてしまったことが実に残念な限りである。

盗作、と言えば嫌悪感を抱く人も多いであろう。
しかし、その線引きは実に難しい。
作家、画家、作曲家など、クリエイティブな仕事をする人間というのは、多くの知識を溜め込まねばならない。
それらの知識を自分の中の抽斗にいったん収め、その上で必要に応じて引き出していく必要がある。
氏の場合、自身もおっしゃるとおり、司馬遼太郎氏に多大な影響を受けた作家である。
文中、幾つかの表現が司馬氏の既出の表現とかぶってしまったのは、抽斗より引き出す際の不幸な事故であったという気がしてならない。
あくまで話の本筋は、氏特有の、オリジナリティーある解釈に仕上がっている。
それだけに、彼の騒動に関しては、一ファンとしてとても悲しく思う。
何か読むものを探している方は、ぜひ読んで欲しい作品である。

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