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2008/1/13 人生における、雑感、ボヤキ、など。
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先週も競馬は駄目であった。
当方の本命セイカアレグロは果敢にハナを奪って主導権を握ったが、やはり函館記念とはいえ歴とした重賞、このレベルでは目標になってしまうとなかなか厳しいようである。
まあ、勝ちパターンとしての逃げ切りは考えていなかったからなあ、逃げた段階で「ああ、駄目だコリャ」とはなった訳だが。
先行集団の底でじっと息を潜め、最終コーナーから直線向いて軽量を利して「チョロッ」て感じで前に出てそのまんま粘りこむというのが思い描いたパターンである。
なかなか、そう上手くはいかないか。
勝ち馬から0,7秒差の7着までだから、頑張ってはいたと思うがね?
ま、次も楽しみにさせてもらおうかな。
札幌だろうかねえ。
勝った、トランスワープはあらちょっと強い競馬。
やはり今年頭から調子がいいのだなあ、一気に重賞ウイナーへ上り詰めてしまった訳である。
次からはハンデも重くなるし、厳しいのだろうがな。
今回54kgはちと恵まれた感じはあったからな。
サマー2000シリーズか、或いは札幌記念か。
こちらはまったり見ておく事としたい。
2着イケトップガンはちょっとばかり穴人気になっちゃったかなーと。
先々週イケドラゴンで駄目だった当方である、実際、一時はこの馬を本命にしようかとも思ったのだが、踏み切れなかったのだなあ。
なんだかんだでおなじような所にいた差し馬同士での決着である。芝目も荒れてきてはいたし、時計の掛かる函館で2分4秒なら差し場となってもおかしくは無いか。
いずれ、この組み合わせで四桁だと、ちと肩透かしな感じは否めないなと。
3着はまさに当方前述したとおりの勝ちパターンを実践したミッキーパンプキン。
ま、ちと追い出しが早すぎた感はあるかな?
もう少し待ってもよかったかもわからんね。
なかなか、最後一押しが利かない馬ではあるな、この馬も。
四着にようやく一番人気のトウカイパラダイス。
やはりなあ、巴賞の日程が替わってから、巴組は絡めなくなってしまったのだなと。
夏場の中一週はタイトなんだよねえ。
じっくり作って札幌記念という選択もあるし、この辺で一息入れて秋からというのもいいだろう。
5着にはなんとびっくり11歳マヤノライジンである。
いやあ、若いなあ。やはりあと2kgも軽ければ連もあったって、なあ?
凄いものである、が、この後はもう駄目だろうなあ。
真っ白に真っ白に燃え尽きた感じ?
あんま期待しないで楽しみにだけしておこうかな。
こんなところか。
反省ばかりが降り積もってゆく感じであるな。
ああ、切ない切ない。
そろそろ大当たりパーティーがしたいものである。


ゲッサンを読んでいるとつくづく思うことがある。
なんで佐原ミズはこうも筆が遅いのか、と。
もうね、完全隔月?
月刊誌でこうも完全に飛ばし飛ばしって、前のお話覚えてねえーっちゅうのよ!
ほんとにもうね、いい加減にしろと言いたい。
少しは二ヶ月に一回2本載せるヒラマツミノル先生を見習えと言いたい。
それはそれでスゲーよなヒラマツ先生!神かっ!
そこまでとはいかずともな、もう少し何とかならんもんかと。
某ハン×ハンやバガ●ンドに比べると可愛いものという意見はあるが。
なんせ80ページ書いてるしな、今回は。バガ●ンドなんて月イチで20ページだしさ、倍描いてる計算である。
何だ、井●よりスゲーじゃん佐原ぁ。
とはいえ、こうもグダグダいいながら毎回楽しみにしているのであるが。
いやねえ、これが結構面白いんだよなあ、実際。
隔月だろうがなんだろうが、面白いは正義。
佐原読むために、頑張って再来月まで生きにゃならんと思うこの頃である。
いやいや、まあたまには月刊でも い い ん だ ぜ ?
頑張って頂きたいものだ。

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寒い寒い。
ここ札幌はいよいよ氷点下二桁の世界に突入し、はや1週間にもならんとしている。
外出るのだけでも億劫であるな。
歳取ると夏の暑さも冬の寒さも、どちらも厳しくなってくるなあ。
ま、命の危険を感じないだけ、夏のほうがマシなのであろうか。
夏になったら夏になったで、耐えがたいのだがね?
或いは、凍死する人よりも熱中症で死んでしまう人のほうがずっと多いような気はするね。
そういえばどこかで、江戸の人たちは寒さよりも暑さに弱かったと言うお話を聞いたことがある。
例えばそれは、寒行など冬の海に入っていったり滝に打たれたりするイベントはあっても、暑行という暑さを際立たせてそれに耐えるようなイベントが存在しないことでもわかるという。
鄭の宰相子産の言葉の様である。
何にせよ、もう少しあったかくなって欲しいものである。


「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」
といったのはイエス・キリストであったろうか。
ユダヤ教の選民思想をやわらかくして、様々な宗教との折衷を繰り返し出来上がったのがキリスト教であるという。
上記の台詞をどう考えるか、様々な受け取り方が存在するだろう。
当方としては、当時極盛であったローマ帝国との関係から、信仰は信仰、政治は政治という、有る意味極めて現実主義的であったキリストという人格の一面が見て取れる言葉と思う。
つまるところ、政治権力と喧嘩をするなと。
我々はあなた方の敵になるものではありませんよ、という彼なりの意思表示であったと考える。
しかし、彼の弟子達はそういった師の言葉を平気で飛び越えて権力を志向していく事となる。
千年ほどかけて、ローマ=カトリック教会の権力は極盛に達するのである。
果たしてこれは、宗教と言うものの堕落の結果であると、一言の下に切り捨ててしまってもいいものであろうか。


なぜ、宗教は権力を欲するのか。
そこには、極めて現実的な理由がある。
宗教と言うものは、所謂人の心の領域のものである。
信仰心と言うものはもう是ばっかりはどうしようもないものなのである、今も昔もだ。
これを政治権力側から見ると、非常にあぶなっかしい代物に見え、事実あぶなっかしいシロモノであることはこれまでの歴史を見ても間違いない。
法と言うものが人間の理性に訴え行動を縛るものであるのと対照的に、信仰というものは宗教的熱狂と言う言葉のあるとおり、常に感情面にダイレクトに訴えかける。
そして、感情というものは常に飛躍を求めると言う面で、あぶなっかしいシロモノなのである。
最近平ナントカが警察に出頭し、また話題の俎上にのぼせている例のあの宗教だが、アレなんかは感情の暴走からくる行動の飛躍と、限定領域内での群集心理の働きという最悪の組み合わせが発露した、極めてわかりやすい事例であると言えそうである。
故に、宗教の歴史とは半面弾圧の歴史であると言える。
政治権力の都合に合わせて、弾圧と保護を繰り返されるのが宗教というものである。
故に権力を欲するようになる。
権力に弾圧されるなら、自身が権力になってしまえばいいという、いわば必然的な帰結なのである。
まあ、一旦権力をもてば腐敗するのはあっという間なんだがな、今度は弾圧側に回るのも早い早い。


まあ、特に理由も無くそんなことを考えていた次第である。
あえて挙げれば、文中の平ナンタラの件や塩野先生のローマ人の物語が今丁度紀元前後であること、そして、年明けにある人と挨拶を交わしたとこと、衝撃的な真実を知ってしまったためであるかもしれない。
「明けましておめでとうございます」
「ああどうも、明けましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いします。お正月はどうでした?」
「ええ、完全に寝正月でしたね、ちょっとお参り行ったくらいで」
「初詣ですか、ああ自分初詣すら行かなかったんですよね。ええと、近所でしたら○○神社ですか?それとも●●●神宮へ?」
「いえいえ、私学会なんでね、ゴンギョウへ行ってきたんです」
「・・・」
「・・・」
ひいい!
新年早々変なとこ踏み抜いた!
その後会話の立て直しに相当苦労したとかしないとか。
困ったもんだ。

それにしてもまあびゅっと行ったな、びゅっと。
言わずと知れたジョワドヴィーヴルのことである。
仕掛けられて一気にちぎったからね、ひょっとしたら相当強いのかもわからんね?
まあ、当方としてはありえねえなと思っていた一頭ではあるのだが。
馬券は別として、いいものを見させていただきました。
しかし、2着はいいとして、3着の武君の馬もなあ。
あっこさえ飛んでいればワイドでは一つ引っかかったのだが。
そう上手くもいかんものである。
日々精進である。
これで負け犬ワイド収支は-11610円。
うむう、これは無理っぽい、か?
まあ、まだ二つある、次頑張りましょうや。


お部屋の掃除である。
別段年末だからということでもないのだが。
気が付いたら本に囲まれていて、ビビッたとかどうとか。
大きな地震でも来たら、埋まって死ねる自信がある。
地震だけに。
本を捨てる、というのもなかなか勇気がいるものである。
だれか拾って持ってってくれるといいなあ、と願いつつ。
古本屋にでも売れという向きもあるだろうが、ぶっちゃけ面倒である。
読み散らかす男だからなあ、帯とかも取って置かないし、一山ナンボのものに労力を割くのも面倒なのである。
さくっと捨ててしまえばいいのさ。
そう、さくっと。
───。
って、本捨てるのってやっぱ難しい!
漫画類は結構さくさく捨てられるのだが、どうもそれ以外の文庫や資料、ハードカバーなんかは、どうしても躊躇が出てしまう。
別段、捨てられるような本なので、愛着があるわけでもないのだがなあ。
面白いと思ったものは捨てないし・・・とか思ったら、いちいち見返していくと、主に文庫だが駄作、つまらねえ、捨てて良し!っていう本がほとんど無い事に気づく。
そういえばそうだな。
駄作だったらそもそも出版されないだろうし、しかも文庫本ということは大体がハードカバー版からさらに売れ行きだの内容だの選別されて製本されるのだろうからね。
捨てられるような駄作、というのが本当に少ないのである。
そうこしているうちに、捨てる本選定途中に「ああ。これなつかしいな!」とかなって本を開いたらもうオシマイである。
結局、漫画だけでダンボール2箱分出して終了だ。
全く減ったように見えないのは気のせいだろうか、気のせいじゃねえな。
別段、とっておいてももう一回読むとか、こういう機会がないとありえないシロモノなのだがなあ。
きっと、強い心が必要なのに違いないのである。
頑張れ、俺。
というわけで、文庫本捨て作業はまた今度ということに。
今度は非情になりきって捨てられるといいなあ。

毎日が寒すぎるここ札幌である。
この数日は天気予想ほど札幌は荒れなかったのだが。ただ、そうはいってもやはり寒いものは寒いし。
布団の中だけが当方の天国であるな。
たまにはゆっくり足を伸ばしに、近所の銭湯にでも行ってこようかな?
ただ、いかに近所とはいえ、この寒い中の移動が億劫なのだが。それだけが唯一にして最大の問題である。


さて、近所のセブン●レブンでなんだか華々しく売り出していた『月刊ヒーローズ』創刊号を買ってきた、一寸した退屈しのぎである。なにせ200円だしね、流石にこれを立ち読みとか、人としてどうよという感じがある。
そもそも、立ち読みとか出来ない人だしな。
というわけで早速パラパラめくってみたのだが、まあ、それなりにという感じかな。
どうかなあ、今後面白くなってくるのかどうか、或いは吉本の漫画誌のように創刊2号で廃刊になってしまうのか。
出版はいま本当にキツイようだしな、どの程度持ちこたえられるか、見ものではある。
で、そんな風に斜めに読みながら気になったのは、知っている漫画描きが随分と少ないということ。
八本で島本先生とかわのいちろう先生と井上先生の三人知っていれば御の字とはいえるのだろうが、それにしてもこのローマ字のBerry StarとかK STORMとかTAIBOGIとか、一体誰なんだ?
と思っていたら、どうやらお隣り韓国の漫画描きさんたちのようである。
これはやはりセ●ンと広告代理店の無理押しなのだろうか、それとも手っ取り早く新味を出したかったがための戦略なのだろうか。
最近、セブン●レブンは妙に韓国づいているしな。
当方新規とか、唐とか。
別段それでどうこうという訳でもないが。
気に食わんのはペンネームがダサいと言う一事だけである。
なんで金さんや李さんのような、自分の国の名前じゃダメなのだろうね?日本は漢字圏なのだし、それでいいと思うのだが。
それとも、最近の韓国では、自分たちが半分漢字圏であることを恥じたりする風潮があるのかしらん。
とりあえずよくわからんが、韓国の人に坂本竜馬について書かせるのはムリがあるんじゃね?と思うこの頃である。
どうなのかな?

坂本さんといえば、わが国にとっては大河の常連であり竜馬がゆくでありメディアがネタに困ったら食いつぶす気まんまんの耐久消費財なみの使い勝手のよい英雄さんな訳だが。
とはいえ、きっと韓国あたりだと知ってる人もまずいない、というかスゲー少ないよな。
まあ、自分の知っている人じゃないと描いちゃいけないと言う法も無いだろうが、ただ、日本人や韓国人がナポレオンについて描くのとは訳が違いそうな感じは受けるな。
案の定、漫画の内容もお粗末っぽいし。
まだ一話だけだがね、こっから面白くなるとは、どうしても思えないのだよなあ。
あんまりSF展開と相性良くないしな。
まあどうでもいいいか、頑張ってくださいな。

昼間は比較的暖かな日が続く、ここ札幌である。
とはいえ、夜になると流石に寒い、日に日に冬へと季節は移ろっているようである。
そろそろ、街にも雪が落ちてくる頃合だからな。
さて、そんな冬の近づくここ札幌の、嘘のような本当の話である。


十一月二日付けの北海道新聞にて───。

「冬の車道は車とぶつかりそうで怖い。この冬からは無理をしてでも車道を乗るしかないのか・・・」
(28歳 男性)

何のことかと思えば、自転車の話である。
自転車ブームが叫ばれる昨今。
先日、この自転車に法の網をひっかぶせようと、警察庁が自転車に関してのルールをプレス向けに発表した。
曰く、自転車は軽車両にあたり、車道通行が原則である事。
自転車にはこの原則を徹底させ、悪質で危険な運転には赤切符で摘発するというものである。
そうだねえ。ここ数年、目に見えて自転車の数が増えてきているよね。
朝の通勤時など、歩道を歩いておっかない思いをしている人も増えているのではあるまいかな。
軽車両扱いで原則車道通行というのは周知の事実なのではなかろうか、ただ、知っていても守っている人が本格的なロード乗りくらいなもの、というだけであろう。
何回か自転車にぶつかられた経験をもつ当方である、いずれきっちり法整備して、車と歩行者と自転車と、もう少しだけ安全なすみわけが出来れば良いなあと願っている。
そのあたりは措くとして。
つまり、上の警察庁発表に噛み付いたのがキ○ガイ左新聞と名高い北海道の狂犬、北海道新聞社である。

「自転車の車道通行徹底を警察庁が打ち出したことにより、道警は、冬場も通勤などに自転車を利用する人が多い道内での対応に苦慮している。
車道は除雪作業などで道幅が狭くなる上、雪や凍結で滑りやすく、自転車と車の接触事故などが多発する危険もある。
道内では、自転車が絡む人身事故は横ばいで、専門家は『地域の実情に合った対策が必要だ』と話している」
こんな記事だ。
実際我が目を疑ったわ。
なんだこのツッコミどころ満載の記事は。

そもそも、前提がおかしいのだ。
実際問題として、冬の北海道そして札幌で自転車に乗るというのは、当方に言わせればそれこそ狂気の沙汰である。
もう、人としてのモラルの問題と言っても良いだろう。
考えて欲しい、つるっつるのアイスバーンの上を、歩道、或いは車道を疾走する自転車。
お前馬鹿だろ!と言いたくなるよね?
誰得だよそれは、歩行者も自動車も、そして乗ってる自転車も誰一人得しないよな?
実際、上の記事でも言っているではないか。

『車道は除雪作業などで道幅が狭くなる上、雪や凍結で滑りやすく、自転車と車の接触事故などが多発する危険もある』

それは歩道も同じだろう。
車道がつるつるなら歩道だってつるつるだよ。
つまりは、冬場に自転車野郎が車とぶつかる危険性が増大するのは問題だが、歩行者に危険を及ぼすのは問題ではない、ということか?
そもそも、北海道は冬に自転車で通勤する人間が多いようなこと記事でホザいているけど、ぶっちゃけそんな人間は周囲からキ○ガイ扱いされている希少種だからな?
しかも専門家って!
そんな専門家なんて初めて聞いたわ、いつもどんな仕事してる人なんすか?
地域の実情に合った対策というのなら、法律で降雪地の冬場の自転車禁止が一番の根本的対策となるのは間違いないのいではなかろうか。
こんな事を真顔で論じている北海道新聞も上に出たゆとり野郎も或いは自転車業界、警察庁なんかも、どいつもこいつも頭のネジの1、2本ぶっ飛んでるとしか思えない。
ちなみに、前述の28歳ゆとり君は、健康のため、冬も自転車通勤しているのだという。
いやいや、お前の健康はどうかしらんが、絶対自分と周囲の寿命削ってるよね。
そんなに自転車乗りたいのなら、雪の無いところに行きなさいと言ってあげたい。

ちなみに道警のある幹部は
「危険を承知で車道を走らせるわけにはいかない。除排雪など路面の状況に応じての指導が必要だ」
と頭を抱えているという。
だ・か・ら、そもそも雪のある地方で冬に自転車に乗るということ自体が危ないしおかしいんだって。
その道警幹部もゆとりか!
馬鹿ばっかりだな、一体どうなってんだ世の中。俺だけがオカしいのか?
ああ、誰かこのお馬鹿新聞にキッツイ突っ込みいれてくれないかな。
脳みそ融けてるとしか思えん。
世も末だと改めて感じる、この頃である。



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